それでは、馬越家墓所より出まして、寺内を見廻してみましょうか…
どちらのお墓も、ユッタリと構えておられますけど、三光寺sanの檀家数は、どのくらいなのでしょうネ…一般的には、檀家数が200家あれば、お寺として運営可能…と耳にした事がありますが…
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GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆
山門(三光寺竜宮門)をくぐり振り返りますと、うん、うん、これは鐘楼も兼ねておりまして、鐘突き棒の上部辺りにはご住職の似顔絵が(^.-)☆
『三光寺住職の横顔 神辺町・田中征児作』と額縁に(^_^)v
ふ~ん、ご住職は、こんなお顔のようですネ。写真よりも、こんな似顔絵の方が微笑ましく感じられますネ(^-^)
描かれた方は、福山市の神辺町にお住まいの方なのかも…福山市神辺町に㈲ラスタと言う会社がありまして、その会社の代表者が「田中征児」なんですけど、この方なのかも…
境内を見廻しますと、『ビール王・郷土の大恩人 馬越恭平翁の墓』と大きく標示されました墓地への入口が…
入口を入りますと、ほぼ正面に「馬越恭平翁ご夫妻の墓」が…馬越恭平翁のお墓は東京にあるのでしょうけど、先祖代々の菩提寺であります三光寺にも、分骨しておられますのですネ。
境内の土塀には、
三光寺境内土塀5メートル修復
寄進者
維時 平成3年11月吉日
東京都目黒区自由が丘1-19-24 馬越通元
と、表示が…
馬越家墓所の塀にも、
馬越家墓所の土塀修復
維時 平成3年11月吉日
東京都目黒区自由が丘1-19-24 馬越通元
と、同様の表示が(^.-)☆
馬越通元sanは、馬越恭平翁のご子息なのでしょうねぇ~
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普段はあまり訪れる方もおられませんようで、施錠しておられ、来訪者がありますと、その都度、解錠されますようであります(^-^)
馬越恭平sanは、この地に高校時代までおられ、以降は木之子より出ておられますから、この資料室には『馬越恭平翁写真資料室』の名の通り、凡て写真が展示です。
これらの写真を拝見しておりますと、木之子を出られましてから以降の輝かしい軌跡が、充分理解出来ましたネ(^-^)/
若くして岡山を離れた馬越さんですが、郷土への愛情は人一倍強かったそうで、多額の寄付が行われており、現在では架け替えられこそしたもの、金銭的な援助をしたと言われる『馬越橋(うまこしはし)』の名称が残されていますように、郷土愛は、お亡くなりになられるまで、ズッとお持ちでしたようですネ(^-^)//"
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本丸まで、まだ半分程度の場所に「大夫丸(たゆうまる)」。三村元親と庄為資が麓で激突した時、毛利元春の調停で講和しました。その後、三村家親の長男・元祐が庄為資の養子となり、のち猿掛城主になっています。
その時、元々の城主・庄実近は隠居してこの「大夫丸」に移ったそうです。後で、「大夫丸の由来」にジックリ眼を通してみたいと思います(^-^)//"
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・名前 GONsan
・年齢 大人
・性別 男子
・地域 広島県福山市
・星座 牡牛座