



















〝佐渡日蓮聖人大銅像〟の拝観を終えますと、観光バスに乗り込みまして、次は「塚原山 根本寺」に向かいます。
バスの車窓から、今一度、〝佐渡日蓮聖人大銅像〟に眼を向けながらスマホで検索しておりますと、こんな記事もありました。
◆佐渡に日蓮聖人の大銅像完成
--- 日蓮宗新聞 2003年6月10日号 ---
日蓮聖人が遺されたお題目の教えを、銅像を通して広く社会に伝えたい―。青年僧の呼びかけに賛同した全国の有志僧侶と檀信徒の発願が実を結び、日蓮聖人ご霊跡の地・佐渡に聖人の大銅像が完成し、その開眼落慶法要が5月13日、全国から僧侶檀信徒や大銅像周辺地域の住民など約2千人が参列し盛大に営まれた。大銅像が太陽の光を浴びて金色に輝く会場では、全国から集まった檀信徒が合掌する中、西身延青年会が先頭にたって新緑豊かな田園風景の中を進み、万灯を奉納。全日青の僧侶、導師の浅井圓道師(長崎県長照寺住職)、式衆が後に続き、御本尊、御神体、御経が大銅像内部に納められた。
午前10時、法要が厳修され、僧侶と檀信徒の読経が響き渡った。法要中、佐野代表を導師に修法が営まれ、全日青の会員が檀信徒を囲んで修法を行った。
銅像完成に至るまでの経緯や数々の苦難を声をつまらせながら敬白文を言上する佐野代表を前に、目頭を抑える檀信徒の姿も数多く見られた。続いて参列者全員で唱題し、お題目が会場全体にこだました。
その後、浅井師、本山根本寺の竹中錬浄貫首、川口徳一両津市長、菅野啓淳身延山久遠寺布教部長が祝辞。竹中貫首は挨拶の中で「大銅像は日蓮宗だけのものではありません。生きとし生けるもの全ての方が、大聖人の銅像を目にした時、人間らしい心を養って、人を敬う心をもって頂きたい。これからは根本寺が責任を持って護持いたします」と話した。続いて土地を寄進した土屋辰治さん、斉藤一夫さんはじめ地権者、両津市長、建設関係者など16人に佐野代表から感謝状が手渡され、最後に、若松宏泉師(北海道妙心寺住職)が竹中貫首に委託状を授与した。
法要終了後、豊田慈證師(愛知県法華寺住職)が大銅像の前で高座説教を行った。また、地元の民謡や、佐渡おけさ、新野大野鬼太鼓などの清興が行われた。
清興の最後に、佐野代表が挨拶に立ち、万歳三唱を行って終了した。
-- 大きな銅像にびっくり --
落慶式会場には檀信徒以外にも多くの人が足を運んだ。
地元両津高校の生徒約80人も体育の課外授業の一環として訪れた。銅像建立地は生徒の通学路にもあたり、工事中から関心を集めていた。「このお像はだれ?」といった疑問を生徒たちは学校や家庭などで話題にしていたという。
引率の体育教諭の和田紀明さんは「銅像が完成した時も生徒と一緒に来ました。記念の式典に参加することによって、島外とのつながりを感じ、同時に郷土の歴史を知ってもらえれば」と話した。女子生徒の1人は「こんなに大きなお像が出来てびっくり!これから私たちを守ってくれそうでとてもうれしい」と銅像を見上げていた。
また近所に住む他宗の女性は「作り始めた頃から見ているが、すごく立派。うらやましいというのが素直な気持ちです」と話した。
土地を寄進した土屋さんは「今後この銅像が信仰の拠点となって、全国から信者がきて下されば」と銅像の完成を喜んだ。
-- 金色に輝く大銅像 --
日蓮聖人の大銅像は像高13メートル、台座13メートル(総高26メートル)。台座には浅井圓道師が書いた「開目」の字が刻まれ、お釈迦さまの生まれたインドの方角を向いて立つ。
銅像は両津市加茂歌代地区にあり、周りには田園風景が広がる。晴れの日には金色に輝き、両津港へ入港する船からもはっきり見ることが出来る。
-- 建立きっかけは全日青の佐渡結集 --
「法華経布教のため、お祖師さまのために、是非役立てて頂きたい」と、土地を寄進したひとりの檀徒の思いに答え、佐渡に日蓮聖人の大銅像が建立された。
きっかけは平成10年、全国日蓮宗青年会(佐野前延委員長=当時)が佐渡結集を行い、唱題行脚してお題目を響き渡らせた時のこと。それに感銘を受けた本山根本寺檀徒の土屋辰治さんが、全日青に土地を寄進した。
その後、全日青執行部は協議を重ね、佐渡は日蓮聖人ゆかりの島であることを象徴するために日蓮聖人の大銅像建立を発起した。しかし、翌年の結集で青年会員に銅像建立を提案したが賛否両論があり、全日青としての取り組みは断念した。
大銅像の建立が心残りのまま、平成12年に全日青委員長を退いた佐野師は、一僧侶としてあらためて佐渡に日蓮聖人の大銅像を建立することを発願し、佐渡銅像建立委員会を結成した。土地を無駄にしたくない、何もできないと言われがちな自分たち青年僧にも何か“できる”ことをしたい、との思いもあった。その心が通じ、有志の僧侶342人から賛同を得た。
建立委員会では、寄進された土地周辺の確保に乗り出した。新たに地権者の斎藤一夫さん(両津市妙法寺檀徒)からの寄進も加わり、最終的な建立予定地は約3千㎡になった。
さらに全国にも勧募を拡大し、銅像建立に賛同した全国の檀信徒や寺院から、たくさんの浄財が寄せられた。
完成を迎えるまでには様々な困難があったが、全国の檀信徒からの励ましの手紙などに助けられた、と佐野代表は言う。大銅像には、支えてくれた檀信徒の熱い思いと、完成までお導き下さった日蓮聖人に感謝し、先師上人や先輩を敬う青年僧の気持ちが込められている。
さらに佐野代表は「今の人々は、“しないことをおそれないで、することをおそれる”、行動を起こさなくては何も変わらない。この銅像建立が、動機になって行動を起こしてくれれば」と語っていた。
…と、日蓮聖人の大銅像完成を迎えるまでには、関係者の皆様の大変なご苦労がお有りだったようですネ。
さて、佐渡島滞在の3日間お世話になりますのは、〝新潟信栄バス〟sanであります。画像に写っていますのが、信栄バス(SHIN-EI BUS)の貸切バスであります。
スマホで検索しましたら、「信栄バスは新潟県佐渡市に本拠地を置く貸切バス会社です。主にロケバス手配や観光旅行の企画・実施などを行っています。行き先は顧客の要望に応じて自由に設定できます。」と、こんな会社説明がありましたネ(^.-)☆
ここから根本寺間は、距離にしまして13km程度ですから、20分程度で到着となりました。
根本寺入り口前には、バス数台が駐車可能な大きな駐車場が(^-^)現在は、どぅか分かりませんけど、年間を通じ多くの参詣客がヤッて来られますのでしょうねぇ~
◆根本寺について
--- ごあいさつ https://temple.nichiren.or.jp/4031001-konponji/ ---
当山は山号を塚原山といい、昔、佐渡の国仲地区一円の死人の捨て場所として、古墳累々たる塚原なりと云い伝えられています。
全国の日蓮宗十大聖跡の一に列せられています。
今を遡る七百有余年前、日蓮聖人御年五十歳佐渡法難の砌、文永八年(1271)十一月一日より、翌九年四月半に至る迄、秘かに阿仏房夫妻の御供養を受け、辺り一帯は屍陀林にして鬼火明滅し、身の丈ほどに積る雪中の三昧堂に請居された聖跡であり、日蓮聖人は此処に総ゆる難難を克服し、正月十六日には越後、越中、出羽、奥州、信濃の諸国より集まった他宗の法師等数百人と問答し「利剣を以て瓜を切り、大風の草を座かすが如し」と御述懐遊ばされし程の大勝利を占められた。
又二月半には六十一年の御生涯中の形見とも言われ、また、一大事とも言うべき『開目紗』上下二巻を御著作なされ、本佛輝尊の予言になる「末法の大導師本化上行菩薩とはこの日蓮なり」と、御自身の本地を開顕されたのも塚原三昧堂であります。
我れ日本の柱とならん
我れ日本の眼目とならん
我れ日本の大船とならん
この「開目紗」に認められた三大誓願であり、当山の別名を「開通顕本の霊場」とも言われています。
当山の境内地は約二万七千坪で、本堂、祖師堂、三昧堂、千仏堂、妙見堂、七面堂、二王門、二天門、太鼓堂、鐘堂、宝蔵、経蔵、戒壇塚、庫裡、等凡そ二十九棟が鯵蒼とした杉や松に囲まれ、佐渡が島の中で聖人請居を偲ぶ聖蹟として多勢の参拝をいただいています。
◆根本寺(佐渡市)
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
根本寺(こんぽんじ)は、新潟県佐渡市新穂大野にある日蓮宗の本山(霊蹟寺院)。山号は塚原山。
-- 沿革 --
文永 8年(1271年) - 寺伝によれば日蓮が三昧堂を開創。
永禄年間に日成が三昧堂を正教寺とする。
天正15年(1587年) - 京都妙覚寺日典が根本寺を開基し、京都妙覚寺の末寺となる。
元和元年(1615年) - 日衍、独立本山となす。
寛文11年(1671年) - 身延、池上、中山の三ヶ寺輪番所になる。
現住は51世竹中智英貫首(佐渡市妙満寺より晋山)。潮師法縁。
-- 主な伽藍 --
本 堂:寛文12年(1672年)建立
祖師堂:宝暦11年(1761年)建立
庫 裡:延宝 7年(1679年)建立
-- 旧末寺 --
日蓮宗は1941年(昭和16年)に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
◆根本寺 由緒 山号 塚原山
--- http://www.sado-konponji.com/map.htm ---
当山は山号を塚原山とし、全国日蓮宗十大霊跡に列す。
昔佐渡国仲村一円の死人の捨て場であったと伝う(大凡七百年前)
日蓮聖人、御歳五十歳、最後の法難が佐渡であり、文永八年(127年)
十一月一日より翌九年四月半ばに到る迄、住まわれたる聖跡にして、同九年二月には聖人生涯中の一大事と申すべき開目鈔を御著書なされた霊跡である。
…と、こんな〝塚原山 根本寺〟でありますけど、早速、入口から入りまして拝観です(^.-)☆
入口から進みますと、間もなく〝三昧堂〟が…そして〝三昧堂〟の左手奥方向に〝戒壇塚〟が存在です。
〝三昧堂〟
五間四間のお堂。
天保年間徳川第十一代将軍家斎の侍女にして、紀州御守殿の萓堂阿美代の方がおり、将軍還暦を祝し併せて除厄の為、祖像一躯を彫刻して、当山に安置の祈願あり、天保四年尊像着佐され、時に妙感尼なるもの三昧堂を建立して、尊像を安置しています。
〝戒壇塚〟
当地は文永八年十一月一日より宗祖謫居の地であり、壇上の塔は味方氏の建設にして、その石材は摂津よりの花崗岩なりと伝えられます。
当山は祖師堂移転の後、土を築きて戒壇塚又は経塚と称しています。
文永九年佛誕日の夜半、最蓮房日淨上人此の地に於て、親しく本門大戒を受戒されたるを以てなりと伝えられます。
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)
GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆




































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































