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 昨朝は、NKHの朝ドラを見終えまして、引き続き〝あさイチ〟に眼を向けておりましたGONsanです。
 昨日の〝あさイチ〟では、銭湯ジャーナリスト〝ステファニー・コロイン〟sanが、銭湯の魅力を伝えておられました。
 何気なく眼を向けていたのですけど、「んっ!?」と眼が止まりましたのが、銭湯の浴室の壁面のペンキ絵の書き替えのシーン。
 ふ~ん、銭湯の浴室内の富士山等のペンキ絵は、僅か一日で仕上げますとは知りませんでしたネ。それに、このペンキ絵は、3年毎に書き替えますとは…銭湯の休業日を利用して行いますから、取り掛かりから完了まで一日で終えなければなりませんとは…
 それから、こんな〝銭湯ペンキ絵師〟sanは、日本に僅か3名しかおられませんとは…
 番組では、〝ステファニー・コロイン〟〝田中みずき〟のお二人を取り上げておられましたけど、WEB上で検索してみましたら、こんな方でありました(^.-)☆

 ◆ステファニー・コロインさん

 --- https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202308/202308_10_jp.html ---

 日本には、一定の料金をとって不特定多数の客を入浴させる「銭湯(せんとう)」と呼ばれる浴場がある。公衆浴場、風呂屋ともいう。この銭湯に魅せられたフランス出身のステファニー・コロインさん。これまでに1,000軒以上の銭湯を巡り、SNSや書籍、イベントなどを通して銭湯の魅力やそれにまつわる日本文化を世界に発信している。
 コロインさんが銭湯に初めて出会ったのは、交換留学生として来日していた2008年。友人に誘われて大学の近くにあった銭湯を訪れたことがきっかけだった。
 「フランスでは他人と同じ空間で入浴する習慣がなく、当時はまだ日本語も少ししか話せなかったので、最初は緊張しました。でも、大きなお風呂に入るとリラックスできますし、店主や常連の方が気さくに話しかけてくれて、とても居心地が良かった。温かな雰囲気とローカルなコミュニティに魅了されて、毎週通うようになりました」
 2012年に仕事で再来日したコロインさん。慣れない日本での仕事が辛くなったときにふと思い出したのが、かつて通った銭湯の存在だった。「留学していたときに通っていた銭湯を再び訪ねたら店主が私のことを覚えてくれていて、自分の居場所があるような気持ちになったのです。銭湯にとても癒やされました」とコロインさん。その後、銭湯をもっと知りたいという気持ちから日本各地の銭湯を巡り、その情報をSNSで発信するようになった。会社勤めの傍ら、番台(銭湯の受付スタッフ)も6年間務めたそうだ。
 「銭湯は家族だけで経営しているところが多く、その土地や家族の歴史が刻まれているため、1軒1軒、佇(たたず)まいや雰囲気が異なります。訪れた人と『こんにちは』とあいさつを交わし、たわいもない会話を楽しむことができるのも魅力です。観光するだけでは分からない、その土地に暮らす人々の日常を知ることができます」
 コロインさんが感じる銭湯のもう一つの魅力が、銭湯のアートとしての側面だ。建物自体が伝統的な日本建築の様式だったり、浴場の壁一面に描かれた富士山や季節の花などのペンキ画やモザイクタイル画、あるいは、のれんや桶といった小物まで、銭湯ごとに個性が際立つ。「昔ながらの銭湯はレトロで風情があり、まるでアートギャラリーのような空間が広がっています」とコロインさん。
 近年、日本では風呂は自宅で入るという習慣が定着したなどの理由により、銭湯の数が減少しているが、コロインさんの発信する情報を見て、銭湯にあまりなじみのなかった若い世代の日本人が銭湯を訪れる機会も増えている。また、海外の方からも「日本で銭湯巡りをしたい」といったコメントが寄せられることも多いという。
 「『温泉』は海外でも有名ですが、『銭湯』についてはまだ知らない人も多い。『日本を訪れたら銭湯に行きたい』と多くの旅行者に思ってもらえるよう、今後も情報を発信したり、イベントを開催したりしたいです。また、いずれは日本にあるすべての銭湯を紹介したいですね」
 最近、コロインさんは銭湯ジャーナリストとしての活動のほかに、長年目標にしていたインテリアデザイナーとしての仕事も始めた。銭湯の魅力を世界に広めながら、デザイナーとして居心地のよいインテリアの家を提案したいという。二足のわらじで、彼女はこれからも大好きなものを追いかけ続けていく。

 ◆田中みずき(ペンキ絵師)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 田中 みずき(たなか みずき、1983年 - )は、日本のペンキ絵師。大阪府出身。中島盛夫や丸山清人とともに、現役で活動中の3人のペンキ絵師の一人である。

 -- 来歴 --
 大阪府生まれ、東京都育ち。筑波大学附属高等学校、明治学院大学文学部芸術学科卒業。明治学院大学大学院文学研究科芸術学専攻博士前期課程修了。大学では美術史を専攻し、現代美術に関心を持ち、福田美蘭や束芋の作品を好んだ。この両名は銭湯をモチーフにした作品を制作しており、卒業論文のテーマ探しをきっかけに訪れた銭湯でペンキ絵の存在を知る。ペンキ絵の世界に魅力を感じ、技術を途絶えさせてはならないと考え、2004年に現代の名工の一人である中島盛夫に弟子入りを志願した。銭湯の軒数の減少から収入の見通しの立てにくい仕事であり、中島は他の仕事との兼業を条件に田中を受け入れた。美術関連の出版社で働く傍ら見習いを続けたが、ペンキ絵師に専念したい思いから1年半ほどで退職。初めの3年間は空と雲だけを描いたが次第に岩や樹木なども任され、7年目には壁全面を一人で制作した。2013年には9年間の下積みを終えて独立。同年、便利屋を営む男性と結婚。足場の設置などで協力して作業を行う。

 -- 作品 --
 2013年に独立してから2018年までに延べ100軒余りの銭湯で描いてきた。
 大阪のスーパー銭湯では葛飾北斎の浮世絵風の注文があったが、館内はアジアンリゾートの雰囲気であった。そのため、浮世絵風、スタンダードな富士山、アジアンリゾートをイメージした色調の富士山の3種類を提案し、その結果、アジアンリゾート風の作品が選ばれた。熊本県人吉市の旅館では、主人が案内してくれた観光名所を盛り込んだ作品を仕上げた。2016年には7月から11月までの期間限定で、大田区の黒湯温泉で『シン・ゴジラ』をモチーフにしたペンキ絵を手掛けた。

 ◆「富士山」受け継ぐ最年少職人◇銭湯ペンキ絵師、田中みずきさんに聞く #取材班インタビュー

 --- JIJI.COM 川村 碧 2023年10月15日08時00分 ---

 湯煙の向こうにそびえ立つ富士山。銭湯で見掛ける見事なペンキ絵を描く職人は、今や全国に3人しかいない。学生時代に一念発起して「銭湯ペンキ絵師」の世界に飛び込み、最年少の絵師として活躍する田中みずきさん(40)を訪ね、ペンキ絵との出会いや修行時代を聞いた。(時事ドットコム編集部 川村碧)

 ・迷いなく動くローラー
 東京都江戸川区の住宅街を進むと昔ながらの宮造りの建物と煙突が見えてきた。「竹の湯」は1963年創業で、天井が高く開放感のある脱衣所や風呂場にはレトロな雰囲気が漂う。
 9月下旬の午前8時、大きなバンで竹の湯に到着した田中さんは、夫の駒村佳和さん(46)に手伝ってもらいながら、手際よく浴室にペンキ道具やはしごを運び込む。男湯には富士山と海辺が、女湯には、名もなき山と川の風景が描かれているが、いずれも田中さんが2016年に描いたものだ。
 今回受けたのは、「男湯と女湯それぞれに富士山を描いてほしい」というオーダー。なんと1日で仕上げるという。女湯から取りかかった田中さんは、おおまかな下書きをすると、ローラーにペンキを付け、勢いよく元絵を塗りつぶした。壁面は縦約3メートル、横約5メートル。台やはしごの上から、元の絵を生かしながら雲の陰影を付け、山の稜線(りょうせん)を形づくっていく。流れるような動きに迷いは感じられない。

 ・色のグラデーション、陰影で立体的な富士山に
 富士山本体のパートになると、淡い黄色を塗り始めた。思いがけない色選びに、見守る「竹の湯」主人・竹内徳生さん(50)は「あの黄色をどう生かすのだろう」と首をかしげた。上から薄いピンク色が重ねられ、オレンジがかった色のグラデーションができる。山頂付近に陰影や積雪が描かれ、立体的な富士山が姿を現した。
 海に浮かぶ島の上に、緑のペンキを付けた大きいはけがぽんぽんと押し当てられると、こんもりと茂った木々が出現した。田中さんは葉に当たる光や波しぶきなどを描き加えていく。黙々と作業すること約3時間。女湯が完成したと思ったら、休む間もなく男湯に移動した。
 男湯の壁に元絵と異なる角度から見た富士山と滝の風景が浮かび、すべての作業が終わった時には午後6時半を回っていた。竹内さんは「女湯は穏やかで明るい富士に、男湯は躍動感のある富士になった。お客さんの反応が楽しみです」と満足げ。田中さんは「女湯は明るい光の中の富士山をイメージし、初めての色味に挑戦した。やれることをやりきった」とうなずいた。

 ・「技術が絶えるかも」大学生で絵師の世界へ
 田中さんは、幼い頃から絵が好きだったという。高校時代に絵を学び、美術史を学べる大学へ進学。卒業論文のテーマに悩んでいた時、好きな現代美術家が銭湯を題材にした作品をつくっていることに気付いた。「そういえば銭湯にも絵があったな」
 初めてのれんをくぐり、湯気が立ちこめる中、湯船から絵を眺めていると、描かれている水辺と現実の湯が混じり合い、「まるで絵の中に入ったかのような不思議な感覚になった」。田中さんにとって、それまで絵は「美術館で鑑賞するもの」だったが、「ペンキ絵が人々の日常生活の中で鑑賞されていたことがおもしろく、100年近く描き続けられてきたことに衝撃を受けた」という。
 銭湯ペンキ絵を卒論のテーマに決め、大学3年生の時、当時全国に3人しかいなかった銭湯絵師の一人、中島盛夫さん(78)の制作現場を見学した。
 「ローラーを操る無駄のない動きや、1秒でも目を離すとすぐに絵が変わる速さ。圧倒されると同時に、『誰かがこの技術を継がないと先がなくなってしまう』という焦りを覚えた」と田中さん。自分で描きたいという思いも募り、在学中の2004年、中島さんに弟子入りする。当初は「生活していけるか分からないから弟子は採らない」と断られたが、「他の仕事もするので技術だけでも教えてほしい」と頼み込み、ようやく認められたという。

 ・「見て盗む」を学んだ修行期間
 荷物運びや準備の手伝いに始まり、大学院修了後は、師匠との約束通り、会社勤めやアルバイトをしながら現場に通った。そんな修業が続いたある日、田中さんは、職人の世界で聞く「見て盗む」ができていなかったことを痛感する。「師匠から突然、『ここを描いてみなさい』と言われたとき、うまく描けなかった。そばで見ていながら師匠がどう描いていたかを覚えていなかった」
 島に生えた松の葉を直してもらう時、師匠はどう筆を持ち、どういう動きをしたか。自分の筆の置き方と何が違ったのか。その後の田中さんは、師匠のやることなすことを必死で覚え、再現することを繰り返した。「画面の広さも普通のキャンバスとは全然違う。全身を使って描く感覚は体で覚えていった」と振り返る。
 修行中、初めて準備から片付けまで師匠不在で臨んだ現場は忘れられないという。「男湯と女湯の両方を任された。『本当に描き終わるのだろうか』と途方に暮れ、絶望的な状況から描き上げた達成感。波瀾(はらん)万丈だったあの日は忘れられない。あの経験のおかげで、どんな現場もきっとできると思って今まで続けられている」

 ・現実にはない風景も魅力
 田中さんによると、銭湯絵は富士山と青空、雲、水辺の風景が一つのパターン。オーダーの8~9割は富士山で、周囲の風景は「お任せ」が多いそうだ。「富士山は銭湯一軒に一つ」が基本だが、先に紹介した「竹の湯」のように、依頼によって、男湯と女湯にそれぞれ富士山を配置することもある。そういう場合は、「朝焼け」と「昼間」のように時間帯や色味を変えて違いを出している。
 「四季を表現するため、桜と紅葉を一枚の絵に入れてほしい」「富士山とモンサンミシェル=フランスの世界遺産=を描いてほしい」などの注文もあり、現実にはあり得ない風景を描けるのも魅力という。これまでに映画「シン・ゴジラ」や自動車メーカー、アパレルブランドを宣伝するPR銭湯絵も手掛け、 最近では、銭湯を舞台にした映画「アンダーカレント」のペンキ絵を制作。「初めての人が銭湯に行くきっかけになればいいし、エンターテインメントとして純粋に楽しんでほしい」と語る。
 銭湯に限らず、シャッター扉や遠洋漁業船の浴室、イベントでのライブペインティングなどの依頼もあるという。「描いてほしい絵を具体的に指定する銭湯のご主人もいれば、イメージで伝えてくるケースもある。どんな絵を求められているのかを考え、デザインに落とし込むのも銭湯ペンキ絵師の仕事」と表情を引き締めた。

 ・変化するペンキ絵楽しんで
 これまで幾多の富士山を描いてきた田中さん。旅行ガイドや絵はがきを見て「富士山らしい姿」を研究し、デザインの参考にしているという。「富士山という基本の型をどうアレンジするか。大きさや配置、青い色なのか、オレンジ色なのかでもまったく違った印象になる」と語る。
 湯船からの見え方を確かめるため、後日、絵を請け負った銭湯に入りに行くこともあるそうだ。「同じ銭湯の絵は同じ絵師が数年ごとに描き替えるのが慣例。ただ、実は、常連さんほど絵の変化に気付かないことがあるとか。中にはじっくり見ている人がいて、どんな表情で見ているのか、感想を言ってくれるか、気になりますね」と笑った。

 …と、こんな〝銭湯ジャーナリスト〟と〝銭湯ペンキ絵師〟のお二人でありました。
 銭湯と言いますと、遠い昔の学生時代に通っていますけど、当時利用していました銭湯のペンキ絵…何が描かれていましたのか、憶えてないなぁ~もぅ、60年近くも昔の事ですから…
 そもそも、ペンキ絵にジックリと眼を向けました事すらありませんでしたかも(^-^)//"

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