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 御井戸には、こんな説明板がありました。

 ◆日蓮聖人『観心本尊抄』硯水の御井戸

 この井戸は日蓮聖人の霊験により掘られたと伝えられ、井戸水を硯水に使い『観心本尊抄』(題目成仏と本尊を明らかにした教義上最も重要な書のひとつ)を書かれたと伝承されます。以降、この井戸水は眼病に効く霊験あらたかな水として地域に広く知られていました。
 仏の教えは衆生の煩悩を洗い清めることから、仏法を水に例えて「法水」と呼びます。右の石塔の御題目は「南無妙(法)蓮華経」と、「法」の文字が書かれていませんが、霊験あらたかなこの井戸水を「法水」として、あえて「法」の文字を書かずに、「妙法の法水」はこの井戸にあることを表すと伝えられています。

 ついでに、ChatGPTにも〝法華堂・御井戸庵〟の歴史を尋ねて見ますと、こんな回答が帰って来ました(^-^)

 ◆佐渡島の「法華堂・御井戸庵」には、どんな歴史が? -- <ChatGPT> --

 ◇御井戸庵 — 概要
 御井戸庵は日蓮ゆかりの地で、佐渡島(新潟県佐渡市)にある「法華堂(ほっけどう)」の一つとされる庵です。
 この地は、当時の信徒であった有力な檀越(檀越屋敷)だった〝中興入道〟の屋敷跡と伝えられています。
 明治期までは古い庵だったようですが、現存の建物は、1767年(明和年間)に〝道照日宣〟法師が開基して再建したものが起源。さらに時代を経て数回改築され、現在のお堂は1997年(平成9年)に建立されたものだと伝わっています。

 ◇なぜ御井戸庵が注目されるか — “霊跡”としての意義
 御井戸庵には「井戸」があり、この井戸から汲んだ水で墨を擦り、文永10年(1273年)4月、佐渡在島中の日蓮が著したとされる教義書〝観心本尊抄〟の執筆に用いた、という伝承があります。
 つまり、御井戸庵は単なる「古い屋敷跡」ではなく、日蓮宗の教義の根幹である書物成立の場として、宗教的・歴史的な重要な“霊跡”と位置づけられています。
 また、御井戸庵は当時の檀越の邸宅であり、その後も地元の信者たちによって庵として守られてきた歴史を持ちます。

 ◇背景となる時代 — 佐渡における日蓮の流罪と布教
 日蓮は鎌倉時代、幕府から弾圧を受け流罪となり、佐渡に送られました。佐渡では厳しい配所生活を送りながらも、教えを説き、多くの信徒を得ました。御井戸庵もその時期の檀越宅の一つとして機能したと考えられます。
 流罪の間、日蓮は書物(たとえば観心本尊抄など)を著すことで教義を整理・展開し、それが後の日蓮宗の基盤となりました。御井戸庵の井戸水がその原点に関わっている、という伝承は、信徒にとって非常に象徴的な意味を持ちます。

 ◇現在の御井戸庵 — 保存と参拝
 現在の御井戸庵は、1997年(平成9年)に再建されたもので、以前からの歴史的伝承を受け継いでいます。
 佐渡島では、「日蓮聖人ゆかりの地」として多数の霊跡があり、御井戸庵もその代表の一つとして紹介されています。参拝コースの一部に組み込まれており、観光と信仰の両方の意味で注目されています。

 ◇補足 — “中興入道”と地域とのつながり
 “中興入道”とは、当時の佐渡にいた有力な人物で、念仏信者ながら日蓮の思想に触れて帰依したとされます。彼の屋敷が御井戸庵の起源である、というのが一般的な伝承です。
 また、後世(明治期以降)にも、地元の人々や僧侶によって御井戸庵は保全され、信仰の場として使われ続けてきた---これが、現代まで建物と伝承が受け継がれている背景と考えられます。

 〝法華堂・御井戸庵〟に関しましては、WEB上に色んな方々が綴っておられますけど、こんな記載もありました(^.-)☆

 ◆御井戸庵(佐渡市中興)

 --- https://ameblo.jp/goreiseki1282/entry-12902609608.html ---

 宿泊していたホテルのほど近くに、「中興(なかおき)」という信号がありました。
 中興といえば、ご遺文にもある「中興入道」を連想しますよね!
 「丈六の卒塔婆を立て…」という「中興入道御消息」は、毎日のお勤めの際に読む、馴染みのあるご遺文です。
 ちなみに「入道」という敬称ですが、必ずしもイコール僧侶ではなく、在家信者でも「入道」のケースはあるようです。ただ位の高い方に「入道」の敬称が用いられる事が多いといいます。
 中興入道も地元の有力者だったのでしょう。
 中興交差点にも能楽堂がありますね。本当に佐渡は能が盛んです。能楽堂の向かいにひっそりと「御井戸庵」というご霊跡があります。
 小さいけどお堂が建っていますね。法華堂です。「中興」という地名からもわかるように、この付近に中興入道一族の屋敷があったと思われます。江戸時代に、道照日宣法師が開基となって庵を結んだようです。
 お堂の裏側に、中興入道の御廟がありました。時代を経て摩耗した小ぶりの宝塔が、中興入道ご夫妻の墓石だと思われます。
 中興入道のお父様は次郎入道信重といい、塚原問答の際に日蓮聖人の法話を聞いて感銘を受け帰依した、佐渡では阿仏房と並んで古参の信者です。子の中興入道も強い信仰を継ぎ、はるか遠い身延山まで日蓮聖人を訪ねて行き、ご供養を尽くしたそうです。
 そのせいでしょうか、先述の中興入道御消息だけでなく、奥様宛てのお手紙などもあるそうで、日蓮聖人とご縁がとても深かったと想像できます。
 ところで、このご霊跡は「御井戸庵」でしたよね。
 井戸にまつわる逸話でもあるのでしょうか?
 実際、お堂に護られた井戸があります。現役の井戸だそうです。一ノ谷の妙照寺が奉納した法塔がありますね。
 お寺の縁起によると、井戸は日蓮聖人の霊験により掘られたもので、井戸水(奥之清水)は眼病によく効いたといいます。
 また、この奥之清水を汲んで草庵に持ち帰り、墨を擦り、観心本尊抄を著したのだそうです。
 その後の教学信仰の根幹をなす渾身の著作を、敢えて一ノ谷から直線距離で2~3kmは離れている中興の井戸水・奥之清水で書いた、というわけですから、この井戸、そして水が持つ霊力の強さが窺えます。
 大荒行を5回も成満された佐渡内他寺のお上人とお話しした際、大荒行中、お曼荼羅を書く修行の時には、中興の奥之清水をわざわざ取り寄せ、墨に足したもので書く、という逸話を教えて下さいました。
 すごくないですか!?
 御井戸庵を訪問したのは朝の6時過ぎ、まだご近所にも人の姿がなく、とても静かに参拝することができました。
 よく清められているご霊跡で、いかに佐渡の宗門の方々が大切にしているかが窺えました。

 〝法華堂・御井戸庵〟の拝観を終えますと、次は〝ホテル万長〟方面に戻り「佐渡屈指の景勝地『尖閣湾』」を観光です。
 当初の予定では、「尖閣湾海中透視船グラスボート」に乗船でしたけど、昨日・今日の荒波では、とてもムリとガイドさん。う~ん、残念(^-^;
 とにかく、〝法華堂・御井戸庵〟とお別れし〝尖閣湾〟へとバスは向かいます。
 が、真野湾に面しますキレイな海浜公園で、暫しトイレ休憩となりました。このキレイな海浜公園は〝佐和田海岸〟でありました。夏には「佐和田海水浴場」として賑わいますようであります。
 周辺を少し散策してみましたら、〝モニュメント「日時計」〟がありました。
 因みに〝日時計〟の時間は、「3↑」に影が少し掛かり右側でしたから、午後3時過ぎと思われます。
 で、おもむろにスマホで時間を確認してみますと、〝15:13〟でしたから、日時計では、まぁこんなもんかも分かりませんネ(^-^)//"

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