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 〝重顕寺〟への参道を下って来まして、〝いぼ神さん〟へ立ち寄りです。

 ◆いぼ神さん
 40センチ位の自然石を積み重ねたもので、線香の灰を疣(いぼ)に付けると、疣がなくなると云われている。今でも賽銭が上がっています。

 画像の通り自然石が設置され、昔はこの自然石の前に灰皿のようなモノが置かれ、線香でお参りしていましたとか。そして、灰皿の線香の灰を疣に付けますと、キレイに消えましたとか(^-^)
 今でもお賽銭が置かれていますとの事ですから、お参りされます方がおられるようであります。この近くには、〝ハタ川〟が存在です。

 ◆ハタ川
 七泉の一つ、川と云うが流れる川とは違い、水がわき出る所を川と呼ぶこともある。善住寺の下、疣(いぼ)神さんの近く。

 何度も眼にしていますから、〝ハタ川〟の現地確認はパスのGONsan。〝いぼ神さん〟に続いて、次は〝松室神社〟に向かいます。
 〝松室神社〟では、境内には上がらず石段下の鳥居から説明をされます本日のガイドsan。

 ◆松室神社
 元禄4年(1691)の創建、祭神は大山昨神(おおやまくいのかみ)。妙顕寺第22世日潤上人の書かれたお曼荼羅がご神体。
 松尾神社とも。

 ◆松室川
 七泉の一つ。松室神社の北にある。現在も生活用水として使用されている。

 松室神社の鳥居付近には、松室神社・松室川についてのこんな案内板が…

 ◆歩いてふれよう水呑の歴史や風土「ふるさと水呑」案内

 -- 松尾(松室)神社 土井郷・浜郷 --
 町内にある同名神社三社のうちの一社である当松尾神社は、別名松室神社とも呼ばれている。
 その謂われは地名から名付けられたものであり、元禄13年(1700)の検地帳には「西中村谷」の中に「松室」の地名が見える。創建は元禄4年(1691)8月で、文政11年(1828)に再建、他社と同じく明治8年(1875)に神斉となっている。神斉となるめまでは妙顕寺時代々の老師が之を管理していた。
 社殿は創建当時は梁行2間、桁行3間、境内46坪で、当時の妙顕寺住職22世日潤筆法華十界の本尊を納めて御神体としている。
 再建後は社殿梁行1間2尺、桁行1間、拝殿梁行2間、桁行3間、境内は60坪に拡張された。
 安政6年8月に常夜灯を献じ、大正4年5月に鳥居及び玉垣を新築している。
 昭和15年(1940)の水呑尋常高等小学校の調査によれば、祭神は大山作命、日潤上人ご本尊及び同上人真筆曼荼羅を納め、御神体は木札とされ、祭日は(旧)8月11日となっており、祭礼行事は氏子総代5人(5頭)が交代して家にて行い、1年毎に御輿の渡御があった。

 -- 松室川(水呑の七泉) --
 場所は水呑町土井1649(財務省)記録にあり、清涼豊富な水は下流の小学校にも簡易水道として引かれていた。
 形態は後方竹藪の窪地に約1.5坪の堀川で、上部の汲出し口を残し葛石で覆われている。
 ポンプ二基を据え付け利用者は頻繁で、全般によく整備されている。松室の地に因み松室川と名付けられ、元禄地検帳には「さこ田谷」に「松室川尻」との地名も見える。

 参考資料:『水呑町史』『沼隈郡水呑尋常高等小学校史跡調査書』『備後国沼隈郡水呑村御検地水帳』『郷土の史跡巡り・水呑七泉』
 水呑学区まちづくり推進委員会 水呑歴史民俗資料保存会 令和5年(2023)2月吉日 設置

 〝松尾(松室)神社〟〝松室川〟の説明が終わりますと、今回の〝史跡巡り〟は凡てオシマイです。後は、水呑交流館に戻るのみ。
 参加者の皆様、お世話して頂きました〝水呑歴史民俗資料保存会〟の皆様、大変お疲れ様でした。また、来年も宜敷お願い致しますです(^-^)//"

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