



















水呑八幡神社からは、熊ヶ峰への登山道を六方学園方向に少し上がって行きますと、右手の山側に〝葛城神社〟が存在です。
ここには、こんな説明板の設置が…
◆葛城神社
熊ヶ峰と並ぶ葛城山の九合目あたりに安元元年(1175)頃から在りました。葛城神社の祭神は素戔鳴(すさのお)の子一言主神で本社は奈良県葛城一言神社である。官簿写しには、所在地を簑島砂原として、社殿梁行一間、桁行一間半、境内九坪、氏子二戸とあり、1867年ごろ佐々木一右衛門なる人、今の八幡神社の南山上岩亀に移し、明治四十四年(1911)夏再び葛城山九合目に神殿六間二間・参拝所三間半・控所六間二間を新築移転する。
昭和30年(1955)に、現在地へ移されました。
住職は年老いた為、故郷の矢掛妙泉寺に帰り、現在地には葛城大尊天として祀られている。(大尊天とは仏の神である)
由来記によれば、安元元年(1175)小松内大臣重盛公、厳島神社参詣の途中、この山に登り当社と熊野神社を祀ったとも伝えられています。(水呑町史より)
◆山神(やまがみ)
葛城山の登山道八幡神社より70米ぐらい登った右手七間奥に高さ二尺位の文字の無い石碑がある。土地の人は此れを山神と呼んでいます。
この石碑の由来は元文元年(1736)3月25日の夜、太鼓勘兵衛という人夢に髪は禿にして、一足の鬼形来て何とて我を不祭ぞ、早く可祭勧請をば、重顕寺日明に頼めと呼で山奥へ走行。
此の時日明上人白衣に紫の袈裟をかけて居給たまへると見て夢覚侍り傍面日明を導師として山田山に勧請す。
其後山の役人小林如七と云者、公用の薪を切らせるが、既に此社の木も切らんとしける時、久太郎云う者、是は山神の神木にて候と申しければ、きらざりけるなり。(水呑町史より)
◆蘇命水(そめいすい)
重盛公、熊ヶ峰山上に向かう途中、6・7合目のところで主従共に息も絶えるかと思われるほど疲労のところに白髪の翁が現れて、傍らにあった岩を取り除いたら、たちまち冷水が湧き出す。
公、これを飲んだところ間もなく元気を回復したので、重盛公がこの水を蘇命水と名付けたと伝えられる。
時に翁は何者であるかと、公が尋ねたところ、吾はこの峯の頂上に祭られる(かつらぎ大権現)の待者であると。(葛城山縁起より)
-- 水呑学区まちづくり推進委員会 水呑歴史民俗資料保存会 令和2年2月設置 --
〝山神〟〝蘇命水〟には向かわずに、〝葛城神社〟からは〝重顕寺〟に向かいます。
◆重顕寺
応長元年(1311)創建、真言宗。日像と法論の末、日蓮宗に改宗する。備後では最初の日蓮宗のお寺。
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