



















・6回裏 広島 の攻撃
中村貴:空振り三振でバッターアウト 1アウト、久保:セカンドゴロ 2アウト、仲田:外角のカットボールを打つもレフトフライ 3アウト
・7回表 オリックス の攻撃
投手交代:杉原→滝田、
堀:ど真ん中のスプリットを打つもレフトフライ 1アウト、福田:セカンドゴロ 2アウト、遠藤:ワンバウンドした球を空振り三振 3アウト
・7回裏:広島 の攻撃
ピッチャー寺西に代わって井口がマウンドにあがる
内田:高めの球を打つもセンターフライ 1アウト、ロベルト:サードゴロ 2アウト、持丸:内角高めの球を打つもライトフライ 3アウト
6回裏・7回表・7回裏…と、凡打が続きます両チームで、何れも打者3人で終わります。
7回表には、カープの投手交代で〝杉原→滝田〟へと代わります。
◆広島東洋カープ 背番号30
滝田 一希(たきた・かずき) ポジション:投手、投打:左投左打、身長/体重:183cm/84kg、生年月日:2001年12月28日、経歴:寿都高 - 星槎道都大、ドラフト:2023年ドラフト3位
ところで、カープの〝ロベルト〟は、どんな選手?ついでに調べてみますと、
◆広島東洋カープ 背番号131
N.ロベルト ネルソン・ロベルト(NELSON ROBERTO)
ポジション:外野手、投打:右投右打、身長/体重:191cm/104kg、生年月日:2000年10月27日、経歴:ソルアナノラン高 - 米マイナー
…と、こんな選手でありました。
7回裏のカープの攻撃では、賑やかに赤風船(ジェット風船)が飛び交うものと思っておりましたら、赤風船の準備をしておられます方は、GONsanの右方向に陣取られますこの方お一人のみでありました(^-^)
この日の観客が何人おられましたのか分かりませんけど、内外野席、ネット裏席を見廻しましても、この方のみ。
たった一つの赤風船ですけど、それでも勢いよく3塁側内野席の上空を舞っておりました(^.-)☆
寂しいと言えば寂しい光景でもありましたネ(^-^)/
ところで、プロ野球観戦における〝ジェット風船〟の始まりは、1978年5月に甲子園球場でカープファンが初めて飛ばし、1985年の阪神タイガース優勝時に阪神ファンが一斉に放し、以降に各球団に定着して行きましたようですネ(^-^)//"
◆ジェット風船
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
ジェット風船(ジェットふうせん)とは、飛ばすことを目的に開発されたゴム風船のことを言う。ロケット風船やスカイジェットバルーンとも呼ばれる。
以前は応援メガホンが球場の売店における主力商品であったが、千葉ロッテマリーンズを中心にメガホンを使わない応援スタイルに移行している球団もあり、一部球団では新型コロナウイルスが5類に移行をしてもジェット風船の使用自粛をしている球団があるため、コロナ禍が起こるまではジェット風船の売上だけで1試合1,000万円を上回る日もあるなど、球団の主力商品になる程であった。
-- 歴史 --
日本において、ジェット風船は1970年代から駄菓子屋、祭り屋台のくじ引き等で子供向け販売されていた。形は大きく分けて2種類あり、球形の物と棒型の物が存在した。
かつてはプロ野球やコンサート等でファンが紙テープを投げる光景がよく見られていたが、その芯が歌手の目を直撃する傷害事故があって禁止された。ただし、優勝時などの特別な状況に限り紙テープが解禁されることがある。その場合は、芯を抜いてから投げるのが通例である。
-- プロ野球観戦におけるジェット風船 --
ジェット風船の応援は、1978年5月13日に広島東洋カープのファンが、甲子園球場(当日は阪神対広島戦)でジェット風船を飛ばしたのが始まりとされる。しかし、一般的にプロ野球の応援の代名詞的なイメージとして定着したのは、1985年の阪神タイガース優勝時に甲子園を埋め尽くした阪神ファンが一斉に放ってからである。
-- 2020年代以降 --
後述のように、2020年からの数年間は『2019年型コロナウィルス感染症の世界的な流行』に伴い、感染拡大防止の観点から、プロ野球主催試合においては全球場で使用が禁止された。
2023年からは感染法上で前述の感染症が季節性感冒と同等の第五類になったことから、徐々にジェット風船の使用を再開する球団が出てきている。
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