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 〝ばら霊園〟横の傾斜地の〝尾根歩き遊歩道〟を上がって行きますと、〝ばら霊園〟の上に出まして、緩やかな上り道に変わります。
 辺り一面が落ち葉の絨毯状態ですけど緩やかな勾配ですから、落ち葉で足を滑らせることも無く、多少の心地良さが(^-^)
 暫く上って行きますと、遊歩道右脇に「↑→ 高射砲陣地跡 砲座」の案内標識が…この標識に従い右に入って行きますと、スグに〝高射砲陣地跡・砲座〟に到着です。
 砲座は、シートに覆われていますけど、今まで何度も拝見しておりますので、シートを剥がすのも面倒ですから、この状態でパチリです(^.-)☆
 この〝高射砲陣地跡・砲座〟に関しましては、WEB上にこんな記載が…

 ◆海後山 超短波警戒機陣地?

 --- https://www17.big.or.jp/~father/aab/fukuyama/fukuyama.html ---

 鞆の浦の西、海にそびえる高石垣で有名な阿伏兎観音のすぐ東上の尾根上に、高射砲のコンクリート基礎が残っている。沼隈町誌では「昭和17年9月30日から10月10日にかけて広島高射砲隊によって造られた、福山の歩兵連隊を守る為の高射砲陣地」と説明されている。しかし、歩兵連隊の施設を防御するために高射砲や高射機関砲が配備されるということはなく、また高射砲部隊の記録を調べても、福山に高射砲部隊が配備されていたという記述は無い。
 実際に探索してみたところ、88式7cm野戦高射砲の固定陣地用(特)のコンクリート基礎が1基、きれいに残っている。しかし、高射砲の基礎はこれ1基しかなく、また周囲に砲側弾薬庫等の設備跡や土塁が無く、高射砲の砲座としては南東側が狭い(砲座の半径は4m前後)。
 戦後の航空写真を見ても、山の北東下に何かの建物が造られたことはあったが、この場所は一貫して山のまま放置されている。そのため、現在残る平坦地や各種遺構類は、当時のままのものだと思われる。
 基礎が1基しかないということは、これが高射砲の基礎である可能性は低いということである。なぜなら、高射砲は通常は4~8基の中隊編成で運用されるからである。2基の小隊編成で運用されたこともあるが、1基のみということは有り得ない。高射砲による防空は、1機を撃墜する為に数百発の射撃が必要となる「数の」世界なのである。
 また、砲側弾薬庫や円形土塁といった施設も必須である。砲側弾薬庫は、鉄盗りや整地で破壊されることもあるが、ここでは基礎が破壊されず綺麗に残っていることから、元から無かったと思われる。弾薬庫が木製だったとしても、土塁の痕跡が残っていることが多い。
 訓練用としてということも無いことは無いだろうが、こんな山頂に訓練用の施設をわざわざ造ることは非効率であり、廃川地や福山連隊の敷地で十分である。
 そうなると、これは「高射砲の基礎の形をした、別の何か」なのではないか、という推測が出てくるのである。
 鞆の浦には、他にも陸軍の超短波警戒機陣地が置かれていた。種類は、警戒機乙の移動用であり、資料によって1基、もしくは2基となっている。そこで、「この警戒機乙移動用のアンテナ支柱の基礎部分に、88式野戦高射砲の基筒部(架台の内の、脚と砲架との間の部分)の部品を流用していたのではないのか?」という仮説を立ててみる。
 つまり、この高射砲のコンクリート基礎には、警戒機乙のアンテナが立てられていた、ということである。レーダーのアンテナマストであれば、1基しか基礎が無くとも、周囲が狭くとも、また砲側弾薬庫等の付属施設が無くとも、問題ないのである。
 しかし警戒機乙移動用は資料が少なく、構造がどのようになっていたのかが明確でない。今回立ててみた仮説も、不鮮明な写真に写っていた警戒機乙野戦用のトラック荷台上の基礎部が、88式高射砲の基筒部に似ていたのでひらめいたというだけである。また、これまで日御碕、由良等の幾つかの警戒機乙移動用の陣地跡を回ってみたのだが、これと同じ基礎を見つけることが出来ていない。その為、あくまでも仮説の域を出ない。妙に具体的な日付が書かれている沼隈町誌の説明の方が正しい可能性もあるかもしれない。
 現地の状況については、後ほどここにまとめておく。
 2007年当時「広島県下で唯一の高射砲の基礎だ」などと書いていたのだが、88式7cm野戦高射砲(特)の基礎は広島市の元宇品にも残っていた。ただ公園整備の際に埋められたり破壊されているため、ここほどきれいではない。

 …と、こんな記載ですけど、能登原にお住まいの戦争時代を経験されましたご高齢の方で、高射砲陣地が築かれた当時に、何度か高射砲発射の轟音がここから聞こえて来た…と言われます方もおられますから、米軍機の来襲に備えて配備されましたのでしょうねぇ~
 それでは、高射砲陣地跡とお別れし、また落ち葉の絨毯を前進です(^-^)//"

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