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 鞆港・仙酔島方向を眺望の後、少し先の〝能登原夕陽展望台〟へと歩いて向かいます。ここでは、〝内海大橋〟の景観が大変キレイです(^.-)☆
 福山市の沼隈町と内海町(田島)を結ぶ、中央部で大きくカーブする内海大橋は全長832m。ブーメランのように〝く〟の字に曲がって弧を描く特徴的な形の内海大橋。眺めていますとノンビリとした気持ちに(^-^)
 内海大橋の後方に見えますのが〝向島〟です。向島の左端には橋の主塔が少し覗いていますけど、これは因島大橋の主塔ですネ(^_^)v
 マップ上では〝後地朝陽展望台・能登原夕陽展望台〟と記載。確かに朝陽・夕陽の眺望は、ここからが最適ですかも…
 この二つの展望台からの眺望を終えますと、次は、数百メートル先の〝薬師地蔵&茶接待所跡〟に移動し車を駐め、またまた暫し展望です。瀬戸内の島々がモヤに囲まれイイ景観であります(^_^)v
 ここには二基の石碑が存在しますけど、WEB上で検索しますと、こんな歴史が…

 ◆福山ぶらり歴史紀行「永代茶接待碑」

 --- びんなび更新:2022年02月10日 https://bin-navi.com/rekishi-essay/24013/ ---

 移動手段は徒歩のみ、そこにある思いやり。
 幕末~明治、藤江村の富豪山路家が6月・7月の2カ月間、沼隈の峠道を行き来する通行人に茶の接待を始め、その場所に碑を建てた。そのひとつがグリーンライン沿いにある永代茶接待碑である。
 グリーンラインの一番南にある小さな展望台、少し北に新しい展望台もでき、今では立寄る人は少ないのではないだろうか。展望台というより駐車スペースと言った方がいいような場所の隅に二基の石碑が立っている。
 ここには、かつて能登原から鞆の焚場に通じる往還があった。現在はその道は使われておらず、この接待碑のみがかつての峠の証しである。
 「永代六月七月茶摂待」「文政十一年始天保三年六月建立」とあり、茶接待は文政11年から始まったことがわかる。
 人馬が汗水たらして峠を往来した時代、その労苦と共にあったのは、人々の慈しみと善意であった。碑の「永代」の二文字は車社会の現代人に何を語りかけるだろう。

 それでは、〝阿伏兎山森林自然公園〟東口にと向かいます。
 公園案内図の前に駐車スペースがありますから、ここに駐車しウォーキングがスタートです。東口入口から〝ばら霊園〟に向かいます舗装道を進めば歩き易いのですけど、案内標識に従い、正規ルートを歩みます事に(^-^)//"

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