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 続いて、〝浜貝塚〟〝水呑交番跡〟〝水呑郵便局跡〟〝地神・水神〟へと向かいます。

 ◆浜貝塚
 縄文時代中期(7000~3000)前の遺物出土で、昭和8年(1933)に沼隈郡教育委員会によって発掘された、出土遺物は、縄文式土器、石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、石皿、貝殻、人骨等。

 ◆交番跡
 水呑村の警察官の駐在は、明治19年(1886)に水呑駐在所の設置に始まるが、現在の交番の近くの伊東家に駐在所があったこともある。現在地には、昭和23年(1948)水呑川を埋め立て建設された。

 ◆郵便局跡
 明治5年(1872)官営の郵便制度が実施された。此れに伴い飛脚が廃止されて、2年後には郵便取扱所が開所されるが、水呑では切手等の販売業務を民間に委託し(宇田氏と岩田氏)が行っていた。明治40年(1907)水呑郵便局が、占部六右衛門局長により開局する。

 ◆地神・水神
 古水呑往還道路入口に入った右側に自然石の地神・水神が建立されています。表面は地神・水神と刻まれ、裏面は明治39年10月吉祥日と刻まれています。

 ◆浜貝塚

 浜貝塚は、県道福山~鞆線の三叉路交差点入口から南に分岐する旧県道沿いに分布する。範囲は約70m先の道路敷地と東側及び、西側丘陵部と推定されている。現在は海岸から遠ざかっているが、当時は海岸に沿って大規模な貝塚を構成していたようだ。
 昭和8年(1933)7月、水呑小学校の橘高武夫先生によって届出され、同月沼隈郡教育委員会によって最初に発掘が行われた。
 場所は、旧県道の道路敷き一帯で縄文時代後期、晩期の土器と、礫砂岩層から人骨一体に石器と多数の貝類が発見された。
 平成10年3月、土木工事中の残土から縄文土器に貝類が採取された。平成21年6月、採取時の鑑定を京都大学の千葉豊教授に依頼したところ、約6千年前の縄文時代前期の「磯の森式土器」と、縄文時代中期の「里式土器」であることが判明した。
 江戸時代から新田開発及び宅地化に伴い、本格的な調査は行われていない。

 ・出土遺物
 縄文式土器(前期~後期)、石鏃、石斧、石棒、鼓石、カキ、ハマグリ、カガミガイ、アサリ、サルボウ、ハイガイ、アカニシ、ツメタガイ、フトヘナタリ、ウミニナ、人骨、獣骨、魚骨

 水呑学区まちづくり推進委員会 平成21年度キーワード事業
 水呑歴史民俗資料保存会 平成21年9月

 ◆水呑郵便局跡

 水呑郵便局の始まりは明治7年12月郵便取扱所として村内三ヶ所に設けられた。何れも今日の切手販売所の如き性質であった。
 郵便局開局は明治19年4月三等郵便局、翌年三月に廃止され、明治40年3月、三百九番屋敷(浜町内)初代局長占部六右衛門として開業し、昭和2年3月に此の場所に写真の様な水呑郵便局が開局した。
 昭和16年には三等郵便局を特定郵便局と名称変更。
 この局には電話交換業務や電報業務も有り、昭和47年からは白萩団地の入口に移転、平成12年、現在の山之神三新田に移る。

 ◆水呑駐在所跡

 水呑村に警官の駐在は明治19年11月、松永警察署鞆分署水呑駐在所の設置より始まり、ここに当時の建物が残っている。以後幾ヶ所移転して昭和23年4月より、現在の所に宿舎と共に新築移転する。

 参考資料 -- 水呑町史、史跡調査書
 水呑学区まちづくり推進委員会 水呑歴史民俗資料保存会 平成28年11月設置

 〝水呑郵便局跡〟〝水呑駐在所跡〟の説明が終わりますと、本日の史跡巡りは凡てオシマイです。
 水呑交番前の安政橋を渡り、水呑川土手を南下し水呑交流館へと戻ります(^-^)//"

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