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 〝パリ・パラリンピック2024〟も終わってしまいましたけど、パラ2024・車いすテニスの男子シングルス決勝…土壇場からの大逆転。凄い試合でしたネ(^_^)v
 第3セットの第9ゲーム、アルフィー・ヒューエット選手にマッチポイントを握られました時には、小田凱人選手の負けを覚悟してしまいましたけど、小田凱人選手の精神力…実にスバラシイもので、大変感動してしまいました\(^o^)/

 ◆小田凱人がパラ初優勝、マッチポイントしのぎ逆転…日本の「金」東京大会を上回る

 --- 2024/09/08 01:03 讀賣新聞オンライン ---

 パリ・パラリンピックは7日、車いすテニスの男子シングルス決勝が行われ、世界ランキング2位の小田凱人(18)(東海理化)は世界1位のアルフィー・ヒューエット(26)(英)を6―2、4―6、7―5で破り、金メダルを獲得した。日本勢のこの種目の優勝は前回東京大会の国枝慎吾に続き2大会連続。今大会の日本勢の金メダルは14個に達し、前回東京大会を上回った。

 小田は立ち上がりからスキのないテニスで危なげなく第1セットを奪った。
 第2セットは第8ゲームまでは互いにサービスゲームをキープ。小田が第9ゲームでブレイクを許すと、そのままセットを失った。第1セットでは相手のサーブをすべてブレイクしたが、第2セットはすべてキープされた。
 第3セットは立ち上がり、ヒューエットの強打に苦しみ、第3、4ゲームを連取されて追う展開に。ミスも出て、第9ゲームではマッチポイントも握られた。しかしそこをしのぐと、4ゲームを連取し、決着をつけた。
 小田は愛知県一宮市出身。9歳だった小学3年生の時に骨のがん「骨肉腫」を発症した。左大腿骨の一部を切除し、自分の脚で走れなくなった。10歳から車いすテニスに取り組み、15歳でプロ転向を宣言。23年6月の全仏オープン優勝で、四大大会制覇と世界ランク1位を史上最年少の17歳1か月で達成した。この大会では、三木拓也(35)(トヨタ自動車)と組んだダブルスでは銀メダルだった。

 GONsanなんぞは、仲々〝車いすテニス〟の試合を観戦します機会は有りませんけど、前回東京大会の国枝慎吾選手の試合はテレビで観戦でありました。
 国枝選手も凄い選手と思いましたけど、小田凱人もまた凄い選手なんですねぇ~
 WEB上で、〝小田凱人〟選手を検索してみましたら、こんな方でありました。

 ◆小田 凱人

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 小田 凱人(おだ ときと、2006年5月8日 - )は、愛知県一宮市出身のプロ車いすテニス選手。東海理化所属。

 ・経歴・人物

 愛知県一宮市出身。名前の由来となったのはフランスの凱旋門。小学校は地元の一宮市立瀬部小学校、中学校は一宮市立西成中学校を卒業。小学生の時はサッカー少年であり、プロサッカー選手を目指していたが9歳の時に左脚に骨肉腫を発症。左脚の股関節と大腿骨の一部を切除して人工関節に置き換える手術を受けた。このため車椅子生活となり、サッカー選手の夢を諦めることとなる。
 その後、2012年ロンドンパラリンピックの車いすテニス競技(英語版)に出場する国枝慎吾を動画サイトで見た際、大きな感動を覚えたという。また、入院中に担当医師から「パラスポーツを始めてみてはどうだろうか」と勧められたこともあり、「車いすテニスに心を動かされた」として競技を始めることを決意。退院後に関係先を当たって練習場所を教えてもらい、本格的に車いすテニスに取り組み始めた。

 2020年に18歳以下の世界一決定戦であるジュニアマスターズの国際大会「Cruyff Foundation Junior Masters」に14歳で出場してシングルスとダブルスで2冠。2021年には史上最年少で車いすテニスジュニア世界ランキング第1位となる。
 2022年4月4日に東海理化と所属契約を結び、28日にはプロ転向を表明した。11月6日にはオランダで開催された車いすテニス年間王者決定戦のNECマスターズにてアルフィー・ヒューウェット(英語版)(イギリス)を破り、史上最年少世界年間王者となった。
 2023年1月に開催された全豪オープンでは準優勝となり、4月に開催された天皇盃ジャパンオープンで初優勝を果たす。4月28日に日本生命保険とスポンサー契約を結んだ。6月に開催された全仏オープンで優勝、グランドスラムを初制覇、17歳1ヵ月2日で制し史上最年少での世界ランク1位が確定した。7月、ウィンブルドンで初優勝し、グランドスラムを2大会連続で制覇した。
 前年準優勝の雪辱を期して臨んだ2024年の全豪オープンでは、決勝戦で第1シードのアルフィー・ヒューウェット(英語版)(イギリス)を相手に2-0(6-2, 6-4)で勝利し、大会初優勝を果たした。続く全仏オープンは、第3シードのグスタボ・フェルナンデス(英語版)(アルゼンチン)を7―5、6―3で破り、大会連覇を達成した。
 2024年には18歳でパリパラリンピックに初出場し、三木拓也(英語版)と出場したダブルスでは、9月6日の決勝でイギリスペアに惜しくも敗れたものの銀メダルを獲得した。翌日の9月7日にはシングルス決勝にて、ダブルスで敗れたイギリスのアルフィー・ヒューウェットと対戦した。6-2、4-6とフルセットとなり、3セット目にゲームカウント3-5から相手にマッチポイントを一度握られるが凌ぎ切り、その後2ゲームを連取し6-5で逆転し3セット目を制して勝利し金メダルを獲得。同種目では、パラリンピック史上最年少での金メダル獲得となった。
 これで残すは全米オープンのみとなり、優勝すればキャリア・ゴールデンスラムを達成することになる。

 …と、こんな選手で、国枝慎吾選手が〝車いすテニス〟を引退時には、こんな選手はもぅ出て来ないかも…と思いましたら、なんのなんの(^-^)
 心配は不要で、優秀な人材は豊富なようですねぇ(^-^)//"

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