昨日もまた、墓参りから戻って来ますと、テレビを前にするGONsanでした。
箱根駅伝・復路もまた余裕の走りの青学大…2年振り7度目総合Vは凄いです\(^o^)/
この様子は、WEB上に、こんな記事で報じられておりました(^-^)
◆【箱根駅伝】青山学院大が2年ぶり7度目総合V 大会記録を2分以上更新で100回目の記念大会を制す
--- 日テレNEWS NNN/2024年1月3日 13時27分 ---
◇第100回東京箱根間往復大学駅伝競走(2024年1月2日往路・3日復路)
第100回を迎えた箱根駅伝は、青山学院大が10時間41分25秒で2年ぶり7度目の総合優勝を達成。2022年に青山学院大がつくった10時間43分42秒の大会記録を2分以上更新しました。
往路は2区から3連続区間賞を獲得。3区の太田蒼生選手でトップに立つと、約3分上回る新記録で往路を制します。
復路スタートの6区野村昭夢選手が、2位駒澤大と2分38秒の差でスタート。区間2位の走りで4分17秒に広げます。
7区では、4年生で初めて箱根路を走る山内健登選手が、その差を4分44秒差に広げる快走。8区の塩出翔太選手も区間記録にあと11秒と迫る区間賞の走りで、2位駒澤との差を5分以上に広げます。
9区の倉本玄太選手は、今大会エントリー外となった駅伝主将の志貴勇斗選手の給水を受け、区間賞の力走。最終10区の宇田川瞬矢選手へタスキをつなぎます。
今大会3区以降一度もトップを譲らなかった青山学院大は、2年ぶり7度目となる総合優勝のフィニッシュテープをきり、大会記録を2分以上の大幅更新。100回目の歴史を鮮やかに刻みました。
◆【箱根駅伝】217・1キロ駆け同タイムの珍事 11位・東海大と12位・国士舘大、順位決定方法は…
--- [2024年1月3日 15:15] SponichiAnnex ---
・第100回東京箱根間往復大学駅伝 復路(2024年1月3日 神奈川・箱根町~東京・大手町 5区間109・6キロ)
第100回東京箱根間往復大学駅伝の復路は3日、神奈川・箱根町から東京・大手町までの5区間、109・6キロで行われた。
合計217・1キロを駆けた末に東海大と国士舘大は総合11時間1分52秒と同タイムで並んだが、順位は東海大が11位、国士舘大が12位となった。
大会要項では「繰り上げ出発などでフィニッシュの着順が成績順位を示さない場合において同タイムとなった大学の順位は、区間上位者の多少によるものとする」としている。
ともに復路は一斉スタートで出発。10区間を終えて東海大で区間最高順位は1区の5位、国士舘大は5区区間7位が最高で、東海大が上位となった。
…と、こんな記事でしたけど、往路・復路の総合順位では、大変珍しいケースが(^-^)
同一タイムとなりました場合の順位は、規定で〝繰り上げ出発などでフィニッシュの着順が成績順位を示さない場合において同タイムとなった大学の順位は、区間上位者の多少による〟との事で、今回は、この規定が適用されましたようであります(^.-)☆
それにしましても、2004年に中国電力を突如退職ののち青山学院大学・陸上競技部監督に就任し、早や20年。結果が出ず、最初の5年間は廃部の危機もありましたけど、この10年間では「7度目総合V」ですから、もぅ名監督の仲間入りですよ。
名監督どころか〝名物監督〟にも仲間入りですネ(^_^)v
〝原晋監督〟に関しましては、色んな話題に事欠きませんけど、ここ最近は、他大学の監督・指導者の皆様も、原監督に見習うべきところ多々有りますようですネ。
広島県三原市のご出身ですから、GONsanなんぞも、原監督を応援します者の一人なんですが、一度、どんな方なのかWEB上で検索してみます事に(^-^)
◆原 晋
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
原 晋(はら すすむ、1967年3月8日 - )は、日本の陸上競技指導者、大学教員、スポーツ解説者、タレント、コメンテーター、評論家、コンサルタント、パネリスト、司会者、元陸上選手、元中国電力営業職員。原は特に、青山学院大学陸上競技部の監督として知られており、彼の指導のもと、同部は箱根駅伝で複数回の優勝を飾っている。妻は青学大町田寮・寮母の原美穂。
青山学院大学陸上競技部・長距離ブロック監督、青山学院大学相模原キャンパス・地球社会共生学部・地球社会共生学科教授、関東学生陸上競技連盟・評議員、GMOアスリーツ・元アドバイザー、埼玉医科大学・客員教授、スポーツ産業化推進議員連盟・アドバイザリーボード、アディダス・キャンペーンアンバサダー、プロ・フィッツ名誉監督、HLBスポーツ・顧問、バディ企画研究所・社外取締役、アスリートキャリアセンター・代表理事、日本トライアスロン連合・理事、ジョリーグッド・社外取締役、神奈川県相模原市・スポーツ宣伝大臣、熊本県球磨郡水上村・アドバイザー。
第91回東京箱根間往復大学駅伝競走で、青山学院大学として史上初の往復路・総合優勝を果たして以降、講演会講師の活動と、数多くのマスメディア出演等を行っている。
★経歴
・陸上競技、現役時代
瀬戸内の古い港町である広島県三原市糸崎町松浜東の出身。小学生の頃から、ソフトボールは4番でピッチャー、相撲は主将と運動万能であった。原が小2の頃、漁港で遊んでいる時に不慮の事故で足を複雑骨折し、長期入院。これを機にリハビリを兼ねて、町内をジョギングを始めた。なお、幼馴染みによると、雨の日でも休まずに毎日走っていたそうで、自分で決めた事はやり通す、意志の強い少年だったと語っている。
中学校に入学後、野球部に入部するか迷っていたが、幼稚園から彼を知る近所の同級生の勧めもあり、陸上部に入部し、長距離走を始めた。中学1年生のマラソン大会では上級生を抑え校内1位、中学3年生の県総体1,500m競走では2位に入賞した。進学した広島県立世羅高等学校3年生時の1984年には、主将として全国高等学校駅伝競走大会へ総合2位に貢献した(優勝、報徳学園高校)。
世羅高校のOBが陸上競技部の監督を務めていた中京大学に進学し、3年時に日本インカレ5,000メートル3位。但し、原曰く「大学時代の1・2年生の頃はパチンコと飲み会に明け暮れてしまい、私が希望した実業団からは門前払いでした」と、中途半端だった旨を明かしている。
1989年、郷里の中国電力(広島県広島市)に入社し、陸上競技部の創設に参加。1993年には主将として、全日本実業団駅伝への初出場にも貢献した。しかし捻挫などの故障が完治せず、さらには監督との軋轢などで成績不振が続いた原因により、入社5年目の1995年に27歳の若さで選手生活を現役引退。
競技引退後は10年間、中国電力でサラリーマン生活を送っていた。同期が本社で活躍する中、配属されたのは支店の下の山口県徳山市(現・周南市)の営業所。ここで蓄熱式空調システム「エコアイス」を社内で一番売り上げて評価を上げ、新規事業を立ち上げた。「伝説の営業マン」を自称する。この間、中国電力陸上競技部は坂口泰監督の手腕と有力選手の加入により実業団トップチームへの道を歩む事となった。-- 以下 略 --
★発言・エピソードなど(一部抜粋)
2023年4月6日、フジテレビ系「Live News イット!」のコメンテーターとして生出演の原は、世界有数の金融機関クレディ・スイスの債券を「サラリーマンの年収を数倍購入していた」が、今年3月にアメリカ・シリコンバレーバンクが経営破綻の要因により金融不安の煽りを食らい、スイス拠点のクレディ・スイスも倒産寸前に陥った。同じスイスの多国籍投資銀行・UBSグループに買収された為、クレディ社が発行した2兆円以上の外債が、原曰く「全てが紙切れ同然の無価値・ゼロ円と成ってしまった」「紙クズと成るリスクは一切聞いてない。老後の資金として貯蓄したのに」などと、憤慨しながらコメント。その数日後、週刊文春の記者に対して原は「どうにかしてよ…ババ引いてしまったなあ、もう」と、投資の大失敗に困惑の表情を浮かべていた。
同年7月8日、フジテレビ系「川島明の芸能界㊙通信簿」へゲスト登場時、原自ら「全国各地の講演会で莫大な収入額を得ている」と告白。講演会の問合せだけで1年間に千件以上も有り、自身の年収については「ぶっちゃけ、日本プロ野球の監督ぐらい。一億円は軽く超えるかなあ?」と打ち明け、スタジオ内を驚愕させていた。
…と、こんな感じで、話題には事欠きませんけど、大概、正直に話されますから、それが仲々面白いですネ(^.-)☆
とにかく、原監督、そして選手の皆さん、2年振り7度目の総合V、誠におめでとうございますです。
〝常勝チームへの育成〟も大変ですし、〝常勝チームの維持〟もまた大変でしょうけど、原監督、今後もお元気に頑張って下さいねぇ(^-^)//"
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