中村集会所近くの〝豊年橋〟までヤッて来ますと、土手脇に設置されました「〝ふるさと水呑〟案内」で、〝安政橋〟〝豊年橋〟〝鞆鉄道鉄橋跡〟…等の説明がありました。
◆安政橋
安政元年(1854)に完成した。水呑川に橋が架かって無い時には、現在の内海屋辺りまで廻って永護新田に耕作に行っていた。
◆豊年橋
安政3年(1856)に完成した。その年には稲の収穫は多く、豊年橋と名付けられたと伝わる。
◆鞆鉄道の鉄橋跡
水呑町内に残る鞆鉄道の遺跡で、現在では此処だけに残っている。
続いて、今回の〝史跡巡り〟で最後となります「鞆鉄道の鉄橋跡」へと向かいます。
GONsanが小学生時代には、光小学校付近の土手、対岸の水呑側の土手にも鉄橋跡は残っておりましたけど、今では此処だけになってしまいましたネ。
鞆鉄道は、GONsanが小学生となります直前まで走行しておりまして、幼少時には、レール上に置き石とか瓶の栓を置いて遊んでおりました。
今では立派な犯罪なのかも分かりませんけど、当時は楽しい子供の遊びでした。こぅした鉄橋跡を眼にしますと、当時の様子が今でも鮮明に蘇ってしまいます。
それでは、史跡巡りも終わりましたので水呑交流館へと戻ります。
今回、案内して頂きましたガイドsan、水呑の事に限らず色んな事柄に精通しておられまして、学ぶべき点は多々有りました。私は存知あげませんけど、凄い方なんでしょうねぇ(^-^)//"
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)