GONsanの絵日記への話題に事欠き、また、中国新聞sanの朝刊記事から話題を拾ってみました(^.-)☆
ふ~ん、〝ホームセンター〟発祥の地は、『益田市』でありましたか…日本初のホームセンターは、1969年に〝ジュンテンドー〟が益田市で開業したホームセンターなんですねぇ(^_^)v
いゃぁ、知りませんでしたネ(^-^)
◆ジュンテンドー
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
ジュンテンドー(英:JUNTENDO)は、島根県益田市に本社を置く株式会社ジュンテンドー(英:JUNTENDO CO., LTD.)が運営する日本のホームセンター。東京証券取引所スタンダード市場上場。
・概要
中国地方と近畿地方(大阪府・滋賀県を除く)と三重県名張市に127店舗(2021年2月現在)を展開している。以前は地域密着型の店舗作りを基本としており、1店舗当たりの面積は900-2,000㎡と小さめで、近年の5,000㎡級の大型ホームセンターとは一線を画していたが、マイン峰山店、茶屋町店、西舞鶴モール店のような大型店舗も存在し、今後大型化を進めている。
また、書店(ブックセンタージャスト)も経営している。
過去には、祖業である薬局・ドラッグストア事業(サンデーズ)や、島根県松江市・出雲市と鳥取県米子市・西伯郡伯耆町でカー用品店のイエローハットのフランチャイズチェーン店の運営を行っていたが、現在は他社へ譲渡している。
名称はかつて「順天堂」と漢字表記されていたが、ツムラおよびバスクリン(旧社名「津村順天堂」)や、順天堂大学とは全くの無関係である。また、キャッチフレーズの「暮らし、いきいき」は〝みしまや〟も使用しているが、こちらも全くの無関係である。
・沿革
1877年10月17日、山口県佐波郡佐波村(現防府市)第403番屋敷にて、渡邉文市生誕する。14歳の時、父の死去により中学2年で中退し、防府の柏木薬店(店主・柏木幸助)に勤務する。
1894年10月、防府の生雲瀧次郎の援助により島根県石見国美濃郡益田町折戸(現・益田市折戸)にて「順天堂薬店」を開店する。「順天堂薬店」の近所に「第五十三国立銀行」(現・山陰合同銀行)益田支店長の飯塚正居が住んでいた。正居はかねてから文市の誠実な生活態度にほれ込んだ。文市は、正居の一人娘のリョウ(正居の妻ツネの兄・平田正表の長女を養子としてもらっていた)と結婚し飯塚文市となる。
1907年4月、「日本薬局方」(第3版)等の施行にともない、薬業は近代化されつつあった。文市は医師の処方箋により調剤のできる「薬局」を目指し、従兄弟の足立滋春を「大阪薬学専門学校」へ進学させた。滋春が卒業するまで島根県薬剤師会幹事・薬剤師虎谷常太郎を雇用し、店舗改装し「飯塚順天堂」が誕生する。
「なんでもあるくすりや」と命名し「明治のドラッグ・ストア・順天堂」と呼ぶにふさわしい店舗で日常品から食料品まですべてを揃えた店舗であった。薬の製薬および販売において富山の薬売りが独占していた市場を次第に掌握するようになる。「順天堂」の名は遠く松江・山口まで知られわたるようになる。その後息子の幸一が東京薬学専門学校(現・東京薬科大学)を卒業し薬剤師となり家業を継ぐ。
1941年、島根県でも島根県医薬品統制組合が発足し、初代理事長に松井義三郎(松井薬局本店)が就任した。また、県内7地区(松江・能義・邇摩・邑智・那賀・美濃・鹿足)に医薬品小売統制組合が結成され、美濃地区の理事長には幸一が選任された。
1943年5月、島根県医薬品統制組合は、島根県医薬品統制株式会社に発展し、加藤丈太郎(加藤二星堂)が社長に就任した。
1943年6月には戦時統制令によって「島根県売薬生産統制株式会社」が設立され、県下各薬局の自家製剤権はすべてこの会社に譲渡することとなった。幸一も父・文市時代からの製薬権を譲渡した。
戦後、1948年6月1日に益田駅前の角地(現・益田薬局の場所)に「有限会社飯塚順天堂駅前薬局」を資本金25万円で設立。幸一が病床につくようになり長男・道正が東京薬学専門学校を卒業し慶應義塾大学病院薬剤部に勤務していたが退職し、1953年2月1日、資本金100万円に増資し「有限会社飯塚順天堂薬局」に商号変更。
道正は、日本薬局協励会主催の全国大会にて経営コンサルテングの松香のアメリカのドラッグ・ストアについての講義を聞いて、すぐさまアメリカのドラッグ・ハウスの資料をとりよせ日本式ドラッグ・ストアの「薬局+荒物雑貨」を目指すこととなる。これが今日の「ホームセンター」+「ドラッグストア」の原点となる。
しかし薬品関係のディスカウントにはブレーキがかかる。薬品メーカーへの代理店契約の破棄を通告したところ、クレームがついた。さらに薬品の値引き販売を察知した薬品組合からも、激しい圧力がかかってきた。
結果「ホームセンター」としての店舗展開をしていくこととなる。
…と、こんな経緯があります〝ジュンテンドー〟。
何事も、初めて取り組みます事には大変なご苦労が伴いますのでしょうけど、山陰の地・益田市からスタートし、中国地方・近畿地方に店舗を展開。
我が町にも、フランチャイズ店ですけど1店舗ありまして、我が家から近いという利便性もあり、よく利用しております。
そぅでしたか…ホームセンターとして店舗展開を推進、業務・業績拡大を志向して行かれましたのは、〝ジュンテンドー〟sanが最初でしたか(^-^)//"
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