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 拝殿・本殿の周りをグルッと廻って境内に戻って来ますと、境内端の建物の軒下に鬼瓦が二体置かれております。
 ガイドさんのお話しでは、老朽化の拝殿を建て替えした際に、拝殿の底地からこの鬼瓦が出て来ましたとの事。で、廃棄する訳には行きませんから、ここに保存している…との事でしたような(^-^)
 WEB上で、〝亀山八幡神社〟についてもっと検索してみますと、こんな記載も…

 ◆亀山神社

 --- http://sagishima.info/guidemap/guidemap-14/ ---

 1124年に丸山朝臣源歳国(まるやま あそん みねもとのとしくに)が、京都石清水八幡宮の御分霊を勧請(かんじょう)されたとの説があります。
 社紋は石清水八幡宮と同じ「左三つ巴」の紋が使われています。広い石段と両サイドの34基の燈籠は、非常に立派です。
 向田地区は明治時代(1868年~1912年・神仏分離)以降、神道が多く、神社が信仰の中心であったことが伺えます。

 ◆Vol4 弓を射ることで邪を払い、1年の無事と豊年を祈願する 亀山八幡神社『御弓神事』

 --- 三原市公式note 2022年1月1日 00:00 https://mihara-city.note.jp/n/n7bcb51af481c ---

 開催時期 例年2月11日(祝)
 特徴 恵方と逆の方角に設置した的に弓を射ることで邪を払い、1年の無事と豊年を祈願する行事

 須波港から瀬戸田行きのフェリーに揺られて20分。佐木島の南西部にある向田港に着くと、すぐに広島県文化財にも指定されている磨崖和霊石地蔵(まがいわれいしじぞう)が見えます。
 それを右手に見ながら、道路のお地蔵さんを辿っていくと、向田地区の亀山八幡神社(かめやまはちまんじんじゃ)があります。
 亀山八幡神社は弘安(こうあん)10年(1287年)に京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)より御分霊(ごぶんれい)を勧請(かんじょう)して祀ったのが始まり。毎年2月11日の祝日に開催される御弓神事(おゆみしんじ)は三原市の無形民俗文化財にも指定されています。

 ・芸予諸島に見られる厄払いの神事
 弓を使った祈祷は、広島県、香川県、愛媛県の沿岸部の神社に多く見られる神事で、佐木島にある亀山八幡神社もその一つ。御弓神事では、1メートル四方の大的と、その横に直径40センチの小的を用意します。
 的の位置は毎年異なり、その年の恵方と逆の方角に的を設置して、これを射ることで邪を祓い、豊年と一年の無事を祈るのだとか。
 「矢を射ることは、その年の厄払いの意味合いがあるので、的は絶対にはずせません。練習もしますし、その日は相当なプレッシャーですよ。」
 そう話すのは亀山八幡神社の宮司になって15年の山田 修さん。以前は糸碕神社で20年務められていたそうです。宮司の山田さんが射るのは小的で、その後、大的に総代、世話役、頭屋の順に射ち、一般参拝者も矢を射ることが出来ます。

 ・神社の竹で作った手作りの矢
 弓で射る矢とは別に、その年一年のお守りに、神社にある竹林の竹を使った矢も配られます。この矢は毎年交代制で神社の祭事のお世話をする頭屋(とうや)が一本一本手作りしています。祈祷(きとう)された矢は参拝者が持ち帰り、一年間家で飾られたあと、節分祭で神社に返して焼納し、また御弓神事で新しいものをもらいます。

 ・地域に根ざした神社
 実は向田地区は神道の家が多く、地域の冠婚葬祭も亀山八幡神社が担っているのだとか。それは、向田の庄屋だった西原庄蔵氏が、維新後の神仏分離の流れの中、率先して村内に神道を広め、神社を改築したことも理由の一つ。
 西原庄蔵(にしはらしょぞう)は、1832年に佐木島の西にある割石島(わりいしじま)との間の干拓に着工し、1834年には扇浜塩田(おうぎはまえんでん)を完成させるなど、多くの偉業をなした人物で、その功績に対し神社境内に西原庄蔵翁頌徳碑(にしはらしょうぞうおうしょうとくひ)が建てられており、毎年10月に「頌徳祭(しょうとくさい)」が行われています。そんな歴史のある亀山八幡神社は地域に根ざした神社として愛されています。

 ◆西原庄蔵翁顕徳碑

 --- https://ameblo.jp/hidsrod/entry-12476130493.html ---

 天保元年(1830)当時の庄屋であった西原庄蔵氏が6年の歳月と私財を投じ、流れの速い割石島との海峡を埋め立てるという難工事を行い、扇浜塩田を造成しました。

 …と、〝亀山八幡神社〟に関しては色んな記載がありますけど、「西原庄藏翁頌徳碑」に関しましては〝んっ!?〟のGONsanです。
 既に、先に、
 『◆西原庄藏翁頌徳碑--西原庄藏翁頌徳碑は、日本の教育者である西原庄藏翁を讃えるために建てられた頌徳碑です。この頌徳碑は、広島県広島市南区にある広島大学の本部キャンパス内にあります。』と綴りましたけど、う~ん、〝日本の教育者である西原庄藏翁〟とは、同姓同名の別人でしたようですネ(^-^;
 WEB上で検索しましたら、〝西原庄藏翁頌徳碑〟で〝日本の教育者である西原庄藏翁〟が出て来たものですから(^-^;

 それでは、〝亀山八幡神社〟とお別れですけど、石段を下り鳥居へと下っておりますと、鳥居の前方方向に青々とした瀬戸内が…そぅそぅ、こんな記載もありました。

 ◆島の記憶 30 -- 佐木島・亀山八幡神社 --

 --- https://blog.shimaproject.jp/?p=9233 ---

 創建1129年の亀山八幡神社。約半世紀前までは、ここから塩田が見えたと聞く。
 水田、塩田、芋、タバコ、除虫菊に柑橘畑。生活の糧と共に変化しただろう眺望に感慨を覚えた。

 …との事で、50年ばかり前までは、この鳥居から少し上辺りから塩田が眺望出来ましたようであります(^.-)☆
 それでは、また、ウォーキングがスタートです。亀山八幡神社からは、峠を越え佐木島東部の海側へと向かいます。峠の上り口辺りには墓地が存在で、立派なお墓が…
 〝岩田家先祖之墓〟と刻まれていますけど、とにかく立派。島の名士の一族の方々のお墓なんでしょうねぇ~
 峠を上りきりますと、前方が開けて青々とした瀬戸内が(^_^)v
 対面に見えます海の向こうは、三原市木原町辺りかも(^-^)//"

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