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 ダム下を見学後には、展示ギャラリーを眺めながらダムの内部に戻ります。

 ◆灰塚ダム<2/3>

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 ・補償

 灰塚ダムは1965年よりダム建設に必要な情報を収集するための予備調査が開始されたが、ダム計画が知られてすぐに地元三良坂町・吉舎町・総領町の住民が猛烈な反対運動を繰り広げた。蜂の巣城紛争や八ッ場ダム(吾妻川・群馬県)、大滝ダム(紀の川・奈良県)に匹敵する激しい反対運動により、ダムは予備調査から完成まで41年の長い年月を費やした。日本の長期化ダム事業の一つである。

 ・猛烈な反対運動

 1965年4月に建設省は予備調査を開始したが、ダム建設によって332戸の住居と177haの農地が水没することから水没予定地の灰塚地区を中心にたちまち反対運動が持ち上がり、同年9月5日に「灰塚ダム反対期成同盟会」が結成された。「同盟会」はその後吉舎町や総領町の住民が加わり拡大、翌1966年9月2日には「灰塚ダム建設反対同盟会」と改組された。こうした地元住民と軌を一にして三良坂町などの町議会もダム建設反対決議を採択し、建設省との全面対決姿勢を露にした。
 この間建設省はダム地点の調査はおろか、地元に全く足を踏み入れられない状況となった。1972年7月豪雨による三次市の大水害、それに続く江の川水系工事実施基本計画策定によって灰塚ダムは正式な事業となったが地元町議会と水没予定地の住民はダム建設反対の意思を変えず、1974年の実施計画調査(ダムの型式や規模を決めるための諸調査)にも反対決議を採択して建設省との交渉を拒絶した。この後建設省は地元に入ることが許されないまま、1981年(昭和56年)までの7年間完全なこう着状態が続いた。なお、同時期に着手された江の川本流の土師ダムは実施計画調査から補償交渉、本体工事、そして完成といった全ての段階を灰塚ダムの予備調査期間内に済ませている。

 ・運動の転機~代替地~

 こう着状態が約7年続き、地元広島県も事業の停滞を懸念して仲介に乗り出した。1982年(昭和57年)には当時の広島県知事がダム予定地に赴いて現地視察を行い、広島県庁にダム対策班を設置して交渉の落とし所を探る一方、建設省と三良坂町など地元との間の仲裁を図った。これ以降三良坂町なども態度を軟化させ、ダム対策特別委員会を設置して水没住民の意向調査を行うなどした。その中で1983年(昭和58年)に三良坂町が水没住民に対し、ダム湖畔に代替住宅地を提供する案を呈示したことにより、膠着していた事業が動き出した。
 代替住宅地による補償とは、集落をダム近くの土地に丸ごと移転させ、コミュニティの維持を図る補償方式である。当然土地・住宅は補償の一環として提供される。特に大規模なダム事業で実施されることが多く、井川ダム(大井川・静岡県)・宮ヶ瀬ダム(中津川・神奈川県)・徳山ダム(揖斐川・岐阜県)などで実施されている。広島県内では温井ダム(滝山川)で施工が開始されていた。灰塚ダムでも複数の候補地を選定してここに住民を集団移転させることで、故郷を遠く離れず生活再建を行うことが出来る対策を呈示したことで住民も対応を軟化。1984年(昭和59年)実に10年目にして実施計画調査が着手され、翌1985年(昭和60年)には「同盟会」は「灰塚ダム建設対策同盟会」と改組され、将来の生活再建に向けた真剣な話し合いが建設省と行われた。

 ・生活再建へ

 1988年(昭和63年)に「生活再建地事業の基本方針」が住民に提案され、翌1989年(平成元年)に事業は発足した。これは三良坂町に灰塚生活再建地(のぞみが丘)、吉舎町に安田生活再建地(ひまわり)、総領町に稲草生活再建地(田総の里)を建設して水没住民を集団移転させるという大造成計画である。1991年(平成3年)には水源地域対策特別措置法(水特法)の対象となり、灰塚ダムは水没戸数や面積が特に大きいことから補償金額のかさ上げや生活再建への優遇措置が図られる「法九条等指定ダム」に指定された。こうしたソフト&ハードの整備により、1992年(平成4年)11月24日に「同盟会」との補償交渉が妥結した。
 1993年(平成5年)にのぞみが丘の開村式が行われ、翌1994年(平成6年)までにひまわり・田総の里も完成。湖畔に三箇所の代替住宅地が整備された。水没戸数332戸の内、のぞみが丘に142戸、ひまわりに13戸、田総の里に39戸、その他13戸と合計207戸がダム周辺に定住し新生活の第一歩を踏み出した。最大の代替地であるのぞみが丘には小学校や寺社も移転したが、地元で「えみきのじいさん」と呼ばれる樹齢500年にもなるムクノキも一緒に移植された。
 最後まで交渉が難航した江の川漁業協同組合と田総川漁業協同組合による漁業権補償は1999年(平成11年)妥結し2001年(平成13年)より本体工事が開始され、試験湛水を経て2006年(平成18年)11月18日に全事業が竣工。計画発表から41年に及ぶダム事業の長い歴史は完結した。竣工式には地権者240名も参加している。

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