7/6(木)に静岡市で、こんな〝橋げた落下事故〟が発生しましたようですネ(^-^;
◆静岡 橋げた落下事故 死亡の2人 一方の端付近で作業中に落下か
--- 2023年7月7日 20時40分 NHK NEWS WEB ---
6日、静岡市内のバイパスの工事現場で建設中の高架道路の橋げたが落下し、8人が死傷した事故で、亡くなった作業員2人は長さ60メートル余りある橋げたの一方の端の付近で作業をしていた際に落下したとみられることがわかりました。警察は7日に現場検証を行い、今後、当時の状況をさらに調べることにしています。
6日午前3時ごろ静岡市清水区尾羽の、国道1号線「静清バイパス」の高架道路を建設する工事現場で、道路の土台にあたる、長さおよそ65メートル、重さおよそ140トンの橋げたが9メートルほど下に落下し、いずれも作業員の室田久生さん(53)と、前田要さん(51)の2人が死亡したほか、作業員と警備員合わせて6人が重軽傷を負いました。
この事故を受けて、警察は7日午前10時ごろから現場検証を行い、当時の状況を詳しく調べました。
工事を発注した国土交通省静岡国道事務所によりますと、橋脚に載せた橋げたを油圧ジャッキで持ち上げ、横に移動させたあと、再び橋脚に下ろす際に何らかの原因で落下したとみられるということです。
また、警察の調べで、当初、亡くなった2人は、橋げたの両端付近でそれぞれ作業をしていた際に落下したとみられていましたが、その後の捜査で、いずれも橋げたの東側の端の付近で作業をしていた際に落下したとみられることがわかったということです。
警察は、作業の工程や安全管理体制などに問題がなかったか、業務上過失致死傷の疑いもあるとみてさらに調べることにしています。
…と、こんな事故でしたようですけど、GONsanは「橋げた落下」と耳にしただけでゾッとする想いが生じてしまいます。
広島カープの北別府投手が200勝を達成しましたのが1992年の7月ですから、その前年の事でした。
社用でお取引先を訪問のため、交通規制もありません工事中の現場を車で走行。それから2時間後、職場に戻りますと、一部の同僚がテレビ画面を注視し離れません。で、様子を伺い画面に眼を向けますと、もぅGONsanも顔面蒼白ですよ(^-^;
アストラムラインの橋桁落下事故の現場は、事故発生の20~30分ばかり前に走行しておりますから、絶句。言葉が出ませんでしたネ。
この事故発生から数年間は、〝橋げた落下事故〟と耳にしますとトラウマになってしまいましたGONsanです。今でもそぅですし、今回の〝静岡・橋げた落下事故〟もまた、そぅでありました。
「アストラムラインの橋桁落下事故」は、こんな事故でありました。
◆広島新交通システム橋桁落下事故
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
広島新交通システム橋桁落下事故(ひろしましんこうつうシステムはしげたらっかじこ)は、1991年3月14日に当時建設中であった広島高速交通広島新交通1号線(愛称アストラムライン)の工事現場で、橋桁が落下し、一般人と作業員の14人が死亡、9人が重軽傷を負った事故である。
・事故の概要
1991年3月14日14時5分ごろ、広島市安佐南区上安2丁目(現・広島高速交通広島新交通1号線上安駅付近)で仮設置していた長さ63m、幅1.7m、厚さ2m、重さ60tの鋼鉄製の橋桁を据え付ける作業中、橋桁が10m下の広島県道38号安佐安古市線(現・広島県道38号広島豊平線)に落下する事故が発生した。
この事故で橋桁が並行する県道下り線を赤信号で停車していた乗用車など11台を直撃し、橋桁の上で作業していて下に投げ出された作業員5人と乗用車に乗車していた9人の計14人が死亡し、9人が重軽傷を負った(重傷1名は後に事故による死亡と認定)。橋桁の落下の直撃を受けた乗用車の中には、橋桁の重量により高さ50cmほどにまで圧縮されたものもあり、また火災の発生により炎に包まれたものもあった。事故のおよそ2時間後に橋桁がクレーンで取り除かれ、下敷きとなった乗用車に閉じ込められていた被害者らは救出されたが、9人の死者は全員がほぼ即死の状態であった。
・事故の原因
広島県警察は、業務上過失致死傷の容疑で広島市役所と作業を請け負っていた橋梁メーカーの「サクラダ」(本社:千葉県市川市)を家宅捜索した。その結果、作業に以下の不備があったことが判明した。
・作業ミス
事故現場は県道の上(片側二車線の中央分離帯)であったため、架設用地を十分に確保できなかった。そのため、部品を橋脚上で橋脚に直角方向に移動したあとで各橋脚に取り付けるために降下させる「横取り降下工法」と呼ぶ方法を採用していた。この工法ではいったん仮受台に置いた上でジャッキ操作を繰り返しながら降下させ、最終的には橋脚上の沓座と呼ばれる台に固定するものであった。前日までに仮置きが完了しており、事故当日は3つの橋脚に置かれたジャッキを交互に降下したうえで台座に固定する設置作業をしていた。
だが、仮受台のH形鋼は3本置かれていたが作業箇所のうち西側橋脚の南側にあったH型鋼は井桁状ではなく、同方向に一列に積む作業ミスをしていた。そのため1本のH型鋼を抜いて仮受台の高さを調整するために交換作業をしていた際、荷重が不均衡になったため、橋桁の南側の底面が深さ6.6mm、300mmの範囲が座屈した。そのためか橋桁の重量が南側に偏ったことから、主桁を支えていた3台のジャッキのうち2台が耐荷力を超えた。その結果、2台のジャッキの受け台のH型鋼がほぼ同時に座屈し、バランスを失い橋桁が半回転しながら下に落下した。
橋桁と橋脚には吊り足場が設置しており、そこで足場の隙間を塞ぐ作業をしていた作業員1人もジャッキ操作をしていた作業員4人と一緒に落下した。直前に作業員が「ジャッキが異常に重たい」と発言しており座屈の予兆があったが、後述のように現場では誰も気が付かない体制であり見逃されてしまった。
・作業員と工事計画のミス
元請のサクラダの工事統括責任者(工事部長)は、降下作業の予定を知りながら現場にいなかった。工事現場代理人はジャッキの設置方法の注意をせずに立ち去り、代理人補佐もジャッキ下げの指示を与えただけで下に降りてしまい、実際の現場監督は二次下請けの職員に任せていた。しかし、この職員は1か月前まで事務職員であり、現場経験がなく建設の技術的知識は皆無であったことからただ漫然と見ていただけであった。
事故現場を担当した三次下請けの建設会社は、橋桁の架設工事の契約は今回が初めてであった。実際にジャッキ操作していた4人のうち2人はとび職であったが、現場作業にブランクがあったうえに橋の架設工事を行った経験が無かった。残りの2人は数か月前までは眼鏡の加工販売に従事していたという初心者であった。すなわち重量物のジャッキ降下というたいへん危険な作業でありながら素人同然の作業員に任せている状態であった。または素人の寄せ集め故にH形鋼の積み間違い(橋桁を受けるためには、完全に強度不足)という、致命的な作業ミスをしていることに気付く者は誰一人いなかった。この背景にはアジア大会準備のために広島市内各所で建設工事が行われており、深刻な人手不足のため熟練した作業員が不足していたこともある。そのため工程に間に合わせるために頭数だけそろえた素人作業員が危険な作業をしていたことになる。
このように工事の請負が元請や下請けなど階層構造になっていたうえに、施工管理体制にも問題があった。上述のとおり現場経験のない職員が臨時で監督を代行していたため、本来作成されるはずの作業計画は存在せず、作業者に手順の説明すら行われていなかった。いずれにせよ、施工方法の検討も不十分であり、転倒防止用のワイヤを張らずに桁を単独で降ろすなど万が一の事態に対する落下防止策などの備えが無かった。
・交通規制
当該県道は一日1万5千台の通行量があるうえ、谷間にある地勢から迂回路が存在しない。そのため通行規制をすると交通渋滞が起きると広島市が主張し、これに広島県警も同意したため、県道の通行規制をしていなかった。
…と、こんな事故でしたけど、実に痛ましい事故でありました。
以降も、国内各地で〝橋げた落下事故〟は発生しておりますから、何とも言えない気持ちです。
GONsanなんぞは、未だに、こぅした橋げた下を車で走行しますと恐怖感が生じますけど、これはきっと死ぬまで失せないのでしょうねぇ(^-^)//"
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