こぅして、〝撮影OK〟分を次々に画像に納めておりまして、「んっ!?…」と眼が止まりましたのが、「宇田要之助」sanの作品です。
この作品も画像に納めようとしましたら、う~ん、残念ながら〝撮影不可〟。
で、作品の説明文のみの撮影の可否は、どぅなんだろう?…と、暫し思案。
そして、受付で、「撮影不可分の説明文のみの撮影は可能ですか?」と確認しますと、「少しお待ち下さい。確認して来ますので…」との事。結果は、説明文のみの撮影は〝OK〟との事でした(^.-)☆
説明文には、
◆宇田 要之助(1911-2006)
UDA,Yonosuke
広島県福山市水呑町に生まれる。福山市立水呑小学校、広島県立福山誠之館中学校(現在の誠之館高等学校)を経て、1932年、太平洋美術学校を卒業。1934年より番衆技塾に学び、安井曾太郎に師事して絵画展に初入選。その後、1965年より国展(国画会)の審査員を務める。1966年にフランス、イタリアに遊学する。1967年より県展審査員、ならびに同運営委員となる。1972年、故郷の福山で個展を開催。1973年、作品《萌芽》が広島県立美術館に収蔵される。1978年、国画会互助会会長に就任。1982年、紺綬褒章を受賞。1983年、現代抽象展(三越銀座ギャラリー)に国画会のメンバー高松健太郎と福留章太らと出品。埼玉県蕨市で、1984年、けやき文化賞を受賞する。2001年、蕨市立歴史民俗資料館にて回顧展「季節の風景」開催。2002年、「埼玉ゆかりの芸術家」展(サトエ記念21世紀美術館)に出品。福島県の只見川に取材し、四季折々の自然の生命感を形象化して制作した。
…と、こんな記載でありました。
因みに、作品の説明文は、
宇田 要之助
UDA,Yonosuke 1911-2006
春(Spring)
1983年 油彩、カンヴァス
作者寄贈
…で、ありました。
WEB上で、〝宇田 要之助〟sasnを検索しますと、こんな記載がありましたネ(^.-)☆
◆宇田 要之助
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
宇田 要之助(1911年 - 2006年)は、日本の洋画家。広島県福山市出身。
・来歴
明治44年(1911年)年5月6日、広島県福山市水呑町に生まれる。昭和初期、福山より同郷の彩美堂主人・土肥円修を尋ねて上京する。
本郷洋画研究所、太平洋美術学校、番衆義塾に学び、安井曾太郎に師事した。
新燈社展、光風会展、白日会展、第一美術展、東光展、春陽展、二科展、第1回日展に入選する。
戦後は国展(国画会)及び埼玉県美術展に毎年出品し、それぞれ委員、審査員を務めた。福島県の只見川に取材し、雪景色を抽象化した作品で知られた。具象では中間色と伸びやかな筆使いによる詩情を得意とし、親しまれている。
1966年(55才)秋にフランスとイタリアに遊学する。パリやセーヌ川の風景を好んで描いた。
1970年(59才)、作品「春の詩」が週刊朝日ジャーナル 9月6日号の表紙になる。
1972年(61才)秋、故郷の福山で個展を開き ほぼ完売する。
1983年(72才)現代抽象展(三越銀座ギャラリー)に国画会メンバーの高松健太郎、福留章太らと出品する。
この年から1996年(85才)までの間、月刊「健康」(財団法人協栄生命健康事業団)の特集「絵のある随筆」に度々画文が掲載される。
この頃、伊勢丹浦和店7階アートホールでの埼玉代表作家展に毎年出品。
2001年(90才)6月23日~7月8日 蕨市立歴史民俗資料館にて回顧展「季節の風景」開催。毎日新聞社他の取材を受ける。
2002年「埼玉ゆかりの芸術家」展 6月15日〜9月1日(サトエ記念21世紀美術館)
2006年(95才)6月14日没、葬儀には蕨市市長や地元衆議院議員らが参列した。
2007年第81回国展(国立新美術館)に「浅春」が物故会員として展示される。
作品は広島県立美術館、ふくやま美術館、福山誠之館、蕨市、サトエ記念21世紀美術館に収蔵されている。
…と、こんな〝宇田 要之助〟sanでありますが、今日まで、GONsanは、宇田要之助sanを全く存知上げませんでした。我が町のご出身で、著名な芸術家でありましたようです(^_^)v
WEB上には、〝宇田 要之助〟sanのこんな作品が掲載されておりました。
そぅ言えば、〝ステンドグラス展〟に入場します際に、受付で記名を求められまして、記入しようとしましたら、直前の記入者が、我が町の宇田県議ご夫妻でありました。思わず見廻しましたけど、既に退場されましたのか、お姿はありませんでしたネ。
ステンドグラス展の鑑賞後に、ひょっとしたら、この、宇田要之助sanの作品も鑑賞して行かれましたのかも…
宇田県議と宇田要之助san…どんなご関係になられますのでしょうネ。
そちらの方にも関心が(^-^)//"
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)
こんなに取り上げて下さって有難うございます。作品は良かったでしょうか?
祖父は十代から絵筆のみで生計を立てた生粋の画家です。特に風景画を得意としました。60年代くらいから国画会の展覧会は抽象画の全盛期で、祖父もそれに影響されたのか、抽象性を開花させて行きました。抽象的であっても下に風景画のしっかりした土台があるのが祖父の只見川(福島県)作品の特徴かもしれません。
若い頃教わった安井曾太郎画伯の画風の進化や紳士的でいち生徒にも手を抜かない親身な指導に感服し、祖父自身も朴訥として紳士、90才にしても尚、出品作品の色彩や構成の画面効果を探求しておりました。