〝杏まつり〟時の臨時駐車場であります〝あんず広場〟まで戻って来まして、海岸沿いを覗いてみますと、お子様連れのご家族が、陽気な温かさに誘われて砂浜歩きを楽しんでおられます(^.-)☆
ここは、シーズンには潮干狩りの皆様で賑わいますのでしょうねぇ~
それでは、GONsanは、武ノ宮八幡宮(田尻八幡神社)に立ち寄ってみます事に。
正面参道から石段を上がれば良いのですけど、近辺に車を駐めるスペースはありませんので、神社東側の車道で、いきなり境内へ(^-^)//"
◆八幡神社
--- http://www.komainu.org/hirosima/fukuyamasi/hachiman_tajiri/hachiman_tajiri.html ---
この神社は高島小の東約150mに鎮座しています。
入口には旧社名の「武ノ宮八幡宮」社号標とともに「吉備高島宮址」碑も建っています。けれど、言い伝えによると、高島宮址はこの地ではなく、さらに北へ行った才の峠近くの宮原にあったという事です。
入口の鳥居を潜ると後は急な石段が参道となります。境内入口には大きな神門が建っており、境内正面には王ケ峯を背景に立派な拝殿、本殿が建立されています。その他境内周辺部には境内社が点在しており、非常に良く整備された感のある気持ちの良い神社でした。
御祭神:神武天皇、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后
例祭日:1月1日・歳旦祭、2月第一日曜日・節分祭 祈年祭、7月第一日曜日・夏越祭 虫送り祭、10月第一土・日曜日・例大祭、11月日曜日・七五三祭、11月23日・勤労感謝祭
境内社:住吉神社、素盞嗚神社、稲荷神社、大年神社、天満宮、金刀比羅宮、護国神社
由緒:王ケ峯の山腹に在り、神武天皇を始め仲哀天皇・応神天皇・神功皇后の四柱を祀っています。この社はもと「武の御宮」と称し、創祀はすこぶる古いのですが、永禄3年(1560)の再興以前の詳細は不明です。
神武天皇の高島宮址は田尻村の奥頭なので、東征解覧の後住民が誠意を表して社殿を営み遺蹟を称えたと思われます。
社殿は永禄3年(1560)慶長17年(1612)万治元年(1658)元禄4年(1691)天明元年(1781)大正5年(1916)の再建を経て今日に至りますが、明治45年(1912)本殿拝殿ともに焼失してしまいました。大正5年(1916)本殿を、昭和3年(1928)幣殿・拝殿を造営しました。
この社が八幡宮と称するに至ったのは永禄以降で、口碑によると長和八幡宮を分霊したと言います。
◆武ノ宮八幡宮(たけのみやはちまんぐう)
--- (田尻八幡神社) http://z80bingo.starfree.jp/174-takenomiya-hatiman/174-takenomiya-hatiman.html ---
創建年代は不詳。田尻村の奥頭が、『古事記』では8年、『日本書紀』では3年、初代神武天皇が滞在した、吉備の高島宮跡の候補地の一つ。
そのため、神武天皇が東遷を完了した後、当地の住民が誠意を表して、王ケ峯の山腹の現在地に社殿を営み、遺蹟を称えたと考えられている。
もとは「武の御宮」と称し、神武天皇を祀る社で、現在も御祭神の1柱。ただし、戦国時代の永禄3年(1560年)の再興以前の詳細は不明。永禄3年、再建され、江戸時代を通じて、慶長17年(1612年)、万治元年(1658年)、元禄4年(1691年)、天明元年(1781年)と社殿造営があった。
この過程で、永禄3年以降、長和八幡宮の御分霊を勧請、八幡を祀る社になった。御祭神は、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后。
明治になり、村社に列した。明治45年(1912年)、本殿・拝殿ともに焼失。大正5年(1916年)に本殿を、昭和3年(1928年)に幣殿・拝殿を造営した。
境内の入り口には社号標「武ノ宮八幡宮」と「吉備高島宮址」碑が建つ。幕末の嘉永7年(1854年)8月建立の狛犬一対がある。
石段の参道を上り詰めると神門があり、それをくぐると拝殿。拝殿の前に昭和30年(1955年)9月建立の狛犬がある。本殿脇に備前焼の頭部のみの狛犬がある。
-- 神社と古事記「田尻八幡神社」より --
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