中央ポンプ場を後にしまして、次は、緑町公園方向に進み、道三川へと向かいます。
途中、〝コーヒーハウス・アラジン〟前で、講師の方から説明がありましたのですけど、GONsanは、最後尾辺りを歩いておりましたから、残念、説明を聴いておりません。
遅ればせながら追い付きましたけど、既に説明は終わり。
〝コーヒーハウス・アラジン〟横には、幅の狭い側溝(用水路?)がありますけど、これが元々の道三川?…う~ん、分からん(^-^;
そして、道三川に到着し、右折し、川に沿って歩行です。
◆蛇行から直線に変わる道三川 -- 冨岡(舟入)新田と沖野上新田 --
冨岡新田は従来全く認知されていなかったが、絵図の解析や、地形の痕跡から四ツ樋や古座床を含む範囲に造られていたことが明らかとなった。(この干拓地には舟入があるため水野勝俊書状では舟入新田と呼んでいる。)この二つの新田の境界は道三川の蛇行から直線に遷移する場所と考えられる。この直線になった道三川は沖野上新田の土地割と正確に一致することから、その造成時に人工的に造られたものであろう。
(備陽史探訪の会資料より)
スッキリとした一直線の道三川ですから、確かに人工的に造られましたのでしょうねぇ(^-^)//"
◆道三川(福山城外堀)
--- https://tabi-mag.jp/hm0382/ ---
広島県福山市、JR福山駅(福山城三の丸南端)から南に2kmほど離れた道三町を流れる水路が道三川。これが往時の福山城の外堀で、「ほたるの舞う美しい川を目指す」という地域住民の要望もあり、全長2.4kmのうちの1.1kmに自然の石積による「ほたる護岸」が整備されています(平成6年「都市景観大賞」受賞)。
《鯉の泳ぐ清流沿いを散策》
もともとは海岸を埋め立てた干拓地に、元和8年(1622年)に福山城を築城し、城下の町割りの際に、外堀となったもの。
明治維新後は、下井手川からの取水した水を農業用水として利用していましたが、都市化、宅地化とともに「死の川」となってしまいました。
その後、「ほたるの舞う美しい川を目指す」と、住民と行政が一体となった整備が行なわれ、清らかな流れが取り戻されたのです。
道三川を流れる水は、水源のポンプ井戸を数ヶ所掘って地下水を供給しています。これは、農業用水である下井手川からの取水が、農家の理解が得られなかったため。
清らかな清流が確保され、霞小学校の南側では鯉も泳いでいます。
ただし、川筋は戦災後の都市計画でそれ以前とは大きく変化しています(福山大空襲後、焼け野原となっていた福山市街は区画整理により大幅に区分と町名を変更、三の丸も住宅街になりました)。
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日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)