蛙岩の存在します港町公園を後にしますと、現在は建物が建ち並び当時の様子は伺えませんけど、木之端新田・トバヤ新開を通り抜け福山市立大学方向へ…
福山市大近くの市道には、福山で最初のコンクリート舗装残欠が(^.-)☆
今まで、ここを車で通ります度に、「この中途半端な舗装は、デザインでも無いし、何なんだろう?…」と不思議ではありました。ふ~ん、〝福山で最初のコンクリート舗装残欠〟とは知りませんでしたネ(^.-)☆
舗装残欠に暫し眼を向けましてから、福山市大の横を抜け〝福山みなと公園〟にと戻って来ましたが、福山内港跡は、今では〝福山みなと公園〟〝福山市立大学〟へと様変わりですネ(^-^)//"
<当日貰った〝備陽史探訪の会〟資料より>
◆蛙石・木之端新田
この辺りが干拓され木之端新田が出来る前、この蛙石は海中の岩礁であった。この場所は芦田川の澪筋と吉津川の澪筋、道三川の澪筋が集合する場所であり、干満に伴う流れが複雑で、船にとっては危険な岩であった。
寛永18年の木之端新田造成により田の中の岩となった。
現在のこの公園の地面高さは標高1.4mであり、満潮海面(大潮)は標高2mであるので、現在でも海面すれすれという位置関係である。
◇備陽六郡誌 深津村
當村近邊、元和、寛永の比迄者海にて、なら津、吉津、徳田、道上の邊迄、船の往來有て、蛙岩(御座床の後に有)の峭(岨)に船を乘かけ、多く破損しけるとそ。薬師寺の邊も西濱とて遠干潟なりしとそ。(中略)木之端新田、寛永18年成就す。此時迄蛙岩壹丁(約109メートル)四方程有之候處、段々打碎、纔三間(5.5メートル)四方程殘有之。
◇西備名區 蛙石
西濱の沖、今は田の中にあり。昔、海路の時、岨にてありしとも云ふなり。又、里諺には此沖の蛙石と云ふは、此處に年經たる大蛙なりしが、或時大蛇來りて呑まんとす、蛙、逃げ廻りせんかたなく恐ろしさの一念こって石となる、大蛇もくわへ見けれども石となりければのまれす、大に気を落とし此處に死したり、其頭は王子山にあって尾は市村山の裾にありしと云ふ。
◆トバヤ新開
福山志料には記述されているが、実体不明の謎の新開。形状・絵図などから寛文6年(1666)以降それほど遅くない時期に造成されたものと思われるが、詳細不明。地面は海面より高いので埋め立てで造られた新開であり、おそらく入江の浚渫で出た土砂で造られたものと思われる。
◆福山で最初のコンクリート舗装残欠
終戦後福山で最初の舗装工事はコンクリートであった。恐らく唯一残っている場所。
◆福山内港跡
昭和の初め頃、大山樋門より手城側を掘削拡大し福山内港が造られた。県営桟橋なども作られ、島へ渡る連絡船などが発着していたが、平成の初期頃埋め立てられ、みなと公園や大学用地として整備された。
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