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 永年、慣れ親しみました『GYAO!』のサービス終了…これは、実に哀しいですし残念ですねぇ~
 昨夜は、少し時間がありますので、GYAO!で映画でも観ようか…と、題名を追っておりまして眼に入りましたのが、『幸福の黄色いハンカチ』でありました。
 この映画は、昭和52年の公開ですから、既に45~6年前の事となりますけど、懐かしさ漂います名作ですネ。
 映画館でも、以降はテレビでも二度ばかり視聴しまして、何度観ましても感動してしまいます。
 この映画のラストシーンでは、追加撮影のため倍賞千恵子は、倍賞のアップのワンカットのためだけに、少数の撮影スタッフだけで夕張での追加ロケを行った…こんな経緯もありますし、何年経ましても、GONsanの脳裏には、この映画のラストシーンが鮮明に蘇ってしまいます。

 この〝幸福の黄色いハンカチ〟に限らず、邦画・洋画を問わず色んな映画を無料で楽しむ事が出来ました〝GYAO!〟
 サービス終了の3月末が近付いて来ましたけど、名残惜しいですし、本当に哀しいですネ(^-^)//"

 ◆幸福の黄色いハンカチ

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 『幸福の黄色いハンカチ』(しあわせのきいろいハンカチ)は、1977年(昭和52年)10月1日(土曜日)に公開された、山田洋次監督による日本映画。

 ・解説

 1971年に『ニューヨーク・ポスト』紙に掲載されたピート・ハミルのコラム『Going Home』をベースに、北海道を舞台に撮影された日本のロードムービーの代表作である。
 高倉健、倍賞千恵子といったベテラン俳優から、映画初出演となる武田鉄矢、その共演に桃井かおり、さらには脇役に渥美清を据えるなど、豪華な布陣で臨んだ同作品は、俳優陣の演技はもちろんのこと、シンプルながら観衆の心情に深く訴えかけるストーリーが高い評価を得た。第1回日本アカデミー賞や第51回キネマ旬報賞、第32回毎日映画コンクール、第20回ブルーリボン賞や第2回報知映画賞など、国内における同年の映画賞を総ナメにしている。
 後にキャスティングを変え、テレビドラマ化や日本国外でも映画化された。

 ・エピソード

 -- 高倉健関連 --
 高倉としても、長年続いた仁俠映画から久々の人情ドラマであり、また役者として再起を図るために参加しており、転換点となった作品である。それを連想させる台詞も劇中に存在する。高倉は山田の作品に対する情熱に感銘を受けたとされ、のちに自分が強い影響を受けた映画監督として石井輝男と共に山田の名を挙げている。なお高倉と山田は同年生まれである。
 刑務所から出てきたばかりの勇作が、食堂でビールを飲み干し、ラーメンをむさぼるように食べる場面(カツ丼も注文しているが、実際に食べているのはラーメンのみ)では、高倉は実際に2日間何も食べずに、この撮影に臨んだという。
 2014年11月10日、高倉が逝去。これを受けて同月28日、日本テレビ系列の金曜ロードSHOW!において、追悼企画としてデジタルリマスター版が放送された。

 -- その他俳優関連 --
 当初朱美役は山口百恵を想定していたが、スケジュールの調整がうまく行かず、出演を断られたため桃井かおりに決まり、桃井に合う男性として、高倉と同県出身の武田を抜擢した。高倉は福岡県中間市出身、武田は福岡市博多区出身、作中ではお互いの出身地について語り合うシーンがある。
 桃井が、駅で「まだ2時間もあるわ」という台詞は、「“わ” は上がりましょう」と山田監督にイントネーションの変更を要求されて、50数テイクを要したという。
 勇作と光枝の再会シーンについて、山田監督はずっとロングで撮影してロケを終えた。ところが、編集担当者の「やはり、ここで観客が一番観たいのは、ずっと待っていた妻の顔なのでは」という意見を聞き入れ、倍賞のアップのワンカットのためだけに、倍賞と少数の撮影スタッフだけで夕張での追加ロケを行った。

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