江戸時代を起源に、現在まで伝承されています〝梯子乗り〟で、出初め式には欠かせません演技披露ですけど、チビッコ達は喜んで見ておりましたネ。大人の皆様も同様ですが(^-^)
〝梯子乗り〟をWEB上で検索してみますと、
◆梯子乗り
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
梯子乗り(はしごのり)は伝統芸能の一つで、真っ直ぐに立てた梯子の上で曲芸を行うこと。
◇概要
梯子乗りの起源は諸説ある。
・消防出初式の発端になった万治2年(1659年)に行われた上野東照宮前の出初めから。
・延宝年間に行われていた見世物(はしごさし)という説。
・享保3年(1719年)に町火消が誕生した際、火災の方角を見るために長さすまたに身軽な若者が登ったもの。
また、町火消の中心となったのは鳶職であり、仕事前の準備運動や訓練のために行っていたと言われる。
現在では、消防出初式で消防士や消防団員が披露する他、鳶職の組合が正月に披露することがある。 落下して重傷・重体になるケースも稀に見られる。
◇梯子乗りの形
頂上技、途中技、わっぱ、とあり頂上技なら遠見、八艘、邯鄲、背亀、鯱、等。(遠見、八艘には応用していくつか型がある。狐遠見、爪八艘等)返し技なら肝潰し、藤下がり、館返し、大返り。途中技なら腕溜め、吹流し、谷覗き、駒鯱、等。わっぱなら逆さ大の字等。二人乗りで子亀吊るし等がある。
…と、こんな歴史がありますようです。〝木遣〟で検索しましたら、こんな記載もありました(^-^)//"
◆伝統技術の継承
--- http://www.endo-k.co.jp/culture.html ---
遠藤興業では、「宮城県鳶土工業連合会若鳶会」による「梯子乗り」技術の伝承を継承するため、若鳶会の活動を支援しております。
「梯子乗り」(はしごのり)とは、伝統芸能の一つで、真っ直ぐに立てた梯子の上で曲芸を行うこと。江戸時代の町火消の伝統をいまに伝えるものとして、出初式では地元の鳶工業会の有志のみなさんが演技をされる場合が多いようです。
青竹で組んだ梯子は、三間三尺(約6メートル)の青竹に、14段の小骨(はしごの桟)を付け手作りで製作する。
はしごを12人の鳶口で支え、その上で演技を実施します。
なぜ梯子の上で技を披露したり、木遣り(きやり)歌なのか?
江戸時代の消火活動は、放水消火ではなく、延焼を防ぐのを目的に、周囲の家を取り壊す「破壊消火」が中心でした。そのため、町火消は鳶職出身者が多かったのです。
元々、鳶ははしごを使って作業を行う仕事。高所での危険な作業に求められるのは、機敏さ、慎重さ、勇敢さであり、それは火消の仕事も同じこと。
そんな理由から、町火消が消火活動のためにはしごを取り入れ、出初式でもその技を披露するようになったのです。現代の出初式はしご技を披露しているのも、鳶職の人たちです。
一方「木遣」は、大木などを運び出すときの掛け声や音頭取りの歌が起源になったとも言われている。本来大勢で作業するとき力を合わせるために歌うもので、鳶職人が仕事中で歌ってきました。
そのため、木遣も自然と町火消の中に溶け込み、受け継がれていった。
消火時には、サイレンの代わりにもなったとも考えられています。
…と、こんな記載でありますけど、ふん、ふん、〝梯子乗り〟と〝木遣〟は、意味合いが少し異なりますようですネ(^-^)/"
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