庭園内を隈無く拝見し下りて来ますと、館長さんは縁側でズッと待っていて下さいまして、申し訳ないやら恐縮するやらで、丁重にお礼を申し上げますGONsanなのでありました(^-^;
まだ、お食事の途中だと言いますのに、内心、「昼時にヤッて来て、迷惑なヤツだ!サッサと駆け足で見て廻り、早う帰らんかい!!」と思っておられましたのかも分かりませんけど、笑顔で渡されましたのが、「清水家庭園」の説明パンフでありました(^.-)☆
これには、こんな記載が…
◆清水家庭園
笠岡市生江浜は、江戸時代、福山藩(水野氏)によって干拓された土地です。寛文9年(1669)に堤防が完成したといいます。
清水家庭園は、もともと生江浜の海岸線であった場所に造られているため、自然の露岩や山肌を活かした作りとなっています。また、池を巡りながら鑑賞する「地泉回遊式庭園」です。南方に見える「宮山」を借景としています。
池の対岸正面に、龍門瀑(りゅうもんばく)(石組で表現された、水が流れない枯滝)と、滝を登る鯉に見立てた鯉魚石を配しているほか、仏教思想に基づく様々な石組が見られます。
また、敷地内には、小さな庵のような建物の痕跡が残っています。特に主屋背後の小高い場所にあった「望海亭」跡地は眺望のよい所で、かっては西浜(ようすな)の海岸や笠岡湾までが一望できました。
清水家の屋号は「矢掛屋」といいます。江戸時代には笠岡で船問屋を営んでおり、生江浜に別邸がありました。この庭が造られた時期は不明ですが、蝶夢という俳人が1779年に笠岡に来たときの紀行文「はまちどり」に、生江浜の清水別邸に立ち寄った記述があります。このことから、それ以前からこの屋敷と庭が存在していたのではないかと考えられます。
…と、こんな記載でありました(^.-)☆
そして、退散しようと思いましたら、「訪れて頂いた方々には、住所とお名前の記帳をお願いしています…」との事で、ドキッのGONsan(^-^;
「水呑」を「三原」と聞き間違えられましたのを良い事に、別段、訂正もせず、遠方からの訪問者として拝見しておりましたけど、「お名前と住所」には、う~ん、困った(^-^;
とっさに、「三原に済んでいますけど、年明け早々に、福山駅~鞆港間の途中にあります〝水呑〟に転居しますので、福山市の住所の記入でも宜しいですか?」と、お尋ねしますと、「あぁ、えぇよ」の館長さん。冷や汗ものではありましたが、ホッと安堵。
新聞紙上で〝清水氏庭園〟を紹介されまして以降、来訪者に記帳をお願いしておられますようですネ(^-^)
GONsanが、5人目の来訪者でありました(^-^)
〝清水氏庭園〟を後にし、金浦公民館にと戻ってきますと、12:47でありました。約30分程度の庭園見学となりましたようです。
公民館の掲示板に眼を向けますと、笠岡市は瀬戸内沿岸の市町村で「2019年 住みたい田舎ベストランキング第1位」のポスターが(^.-)☆
…と言う事は、このポスターは、もぅ3~4年掲示してありますのかも…
その隣りには、2/5(日)開催の「第26回べいふぁーむ笠岡マラソン大会」のポスターです。ハーフマラソンですけど、GONsanも、この大会では二度ばかり走りましたネ。でも、既に12~3年ばかり前の事となりますかも(^-^)
ふ~ん、笠岡市は、2019年に『住みたい田舎ベストランキング第1位』に輝きましたのですねぇ~
何でも〝第1位〟は嬉しいものであります。これでは、ポスターが朽ち果てるまで、掲示板からは外せませんかも(^-^)//"
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)