備後國分寺の散策を終えますと、東側に隣接の〝下御領八幡神社〟にも立ち寄ってみます事に。
八幡神社の鳥居脇には、こんな説明板が…
◆下御領八幡神社
由緒 御祭神
誉田別命(応神天皇) 田心姫命 湍津姫命 息長足姫命(神功皇后) 市杵島姫命
聖武天皇の天平年間の創立にて「宇佐八幡宮を勧請し安那の産土神 國分寺の鎮守に有」と伝えられています。
昔は國分寺八幡宮と言われていました。応仁の乱(1467-77)後、社殿は大破、山名忠勝(神辺城主)により永世4年(1507年)に山名宮内小輔忠勝が本殿拝殿を再興して社領二十貫を与えられる。
天文年中(1532-55)宍戸安芸守隆家が背後の茶臼山領に築城し武運を祈る。永禄元年(1558)杉原盛重が神辺城主となると家臣菊池肥前守がここに在城武運祈り戦功あり。永禄5年(1563年)3月毛利元就の命により國分寺と共に当社を杉原盛重が修復した。
延宝元年(1673)5月16日に大水害により社殿は大破。貞享3年(1686年)水野勝慶(福山城主)の命により修復(棟札現存)。
正徳2年(1723年) 宝暦4年(1764年) 安政5年(1858年) 大正14~15年と修理修復を重ねています。
※ 現在の本殿は約350年前の建物です。昭和35年には今の拝殿が建てられました。
前夜祭 10月の第一の土曜日 大祭 日曜日
…と、こんな歴史のあります〝下御領八幡神社〟のようであります(^-^)//"
WEB上で検索しますと、こんな記載もありました(^-^)/"
◆下御領八幡神社
「深安神社めぐり」の21番目の神社
--- http://z80bingo.starfree.jp/21-simogoryo/21-simogoryo.html ---
【住所】福山市神辺町下御領一〇七三
【祭神】誉田別命、息長足姫命、田心姫命、湍津姫命、市杵姫命
【例祭】十月第一日曜日(旧例祭日 旧暦十月十五日)
【由来】
天平年中(七二九~四九)の創立と伝えられ、宇佐八幡宮より勧請し、国分寺の鎮守社であったという。応仁の乱(一四六七~七七)後社殿大破し、山名宮内少輔忠勝が永正年中(一五〇四~二一)本殿及び拝殿を再造立して社領二十貫を付けた。その後、天文年中(一五三二~五五)、大内家臣、宍戸安芸守隆家が当社背後の茶臼山に築城し、当社に武運を祈願したという。
永禄元年(一五五八)杉原氏が神辺城主となると家臣菊池肥前守がここに在城し、武運を祈願して戦功があり、永禄五年三月、毛利元就の命により国分寺と共に当社を杉原盛重が修復した。永宝元年(一六七三)五月十六日大水害により社殿大破し、貞亨三年(一六八六)福山城主水野氏の命を似て大修復した。その当時の棟札が現存する。
大正十年本殿を大修理、昭和三十五年拝殿を再建する。御祭神の応神天皇(誉田別命)は第一五代の天皇。神功皇后(息長足姫命)はその母君で共に日本の国家形式を確固たらしめ、大陸文化を輸入し、日本文化の興隆をはかられた。
-- 広島県神社庁 深安二十六社神社めぐりより転記 --
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