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 ◆備後国分寺

 --- https://tabi-mag.jp/hm0310/ ---

 奈良時代、聖武天皇の詔で全国66ヶ国に1ヶ寺ずつ設置された国分寺(金光明四天王護国寺)のひとつ備後国分寺の後継寺院で広島県福山市にあります。奈良時代創建の備後国分寺は、戦国時代には衰退し、天文7年(1538年)の神辺の合戦で堂宇は焼失しています。天文19年(1550年)に薬師如来を本尊として再建され、翌年には毛利元就も参詣。

 ・備後国に建てられた国分寺の後継寺院
 創建当時の南大門は、古代の山陽道に面して建てられ、門をくぐった左側に金堂、右に七重塔、その北側に講堂という法起寺式で伽藍が配置されていました。
 昭和47年からの発掘調査で講堂、金堂、塔の跡が発見されています。
 江戸時代初期に土石流で壊滅となっていますが、後に備後福山藩第4代藩主・水野勝種(みずのかつたね)の後ろ盾により再興。
 ちなみに備後国は、7世紀後半に、吉備国を備前国(後に美作国も再分割)、備中国、備後国に3分して設けられています。
 国府は、広島県府中市元町付近にあったとされていますが、その遺構は未発見で定かでありません。国分尼寺(法華滅罪之寺)も福山市神辺町湯野あたりにあったと推測されています。

 山門(仁王門)の前辺りには、詩碑・歌碑が二つばかり…
 手前の歌碑には、昭和61年秋、故北川勇氏の揮毫により建立されたもので、碑の裏面には、〝「如実上人を訪ひ侍りし日庭の草花盛りなりしかば」とあり、表に「訪ひ寄れば袖も色濃くなりにけり 籬の露の萩の花摺り」晋帥〟の和歌が刻まれています。

 ◆神辺町下御領 備後國分寺 菅茶山和歌

 --- https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/kannabe-kanchazan/3116.html ---

 「如実上人を訪ひ侍りし日 庭の草花盛りなりしかば」
 訪(と)ひ寄れば袖も色濃くなりにけり 籬(まがき)の露の萩の花摺(はなず)り 晋帥(ときのり)

 ・如実上人 … 国分寺の元禄の再建より4代目の住職
 ・晋帥 … 菅茶山の本名

 【大意】
 如実上人を訪ねて国分寺に寄れば、着物の袖が色濃くなるくらい草花は真っ盛り。萩の花が映りこんだ垣根の露で着物を染めてしまいそうだ。
 この石碑の揮毫は『茶山詩五百首』で知られる故北川勇氏である。

 …との事で、この後方の石碑に綴られました文字は、GONsanには読めないのですけど、

 ◆神辺町下御領 備後國分寺「聯句戯贈如實上人」

 --- https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/kannabe-kanchazan/3116.html ---

 「聯句戯贈如實上人」
 上人好事爲花顛 唯愛名花不愛銭 拙斎
   上人好事(こうず)花のために顛(てん)ず
     ただ名花を愛して銭を愛さず

 爲是年年購奇種 下山時乞衆生縁 晋帥
   是(こ)れ年年奇種を購(あがな)うために
     山を下って時に乞う衆生(しゅじょう)の縁

 是れ如實上人に呈す聯句 事四十年前に在り今此れを書し愴然
 文政辛巳仲秋 菅晋帥再行

 ・好事 … 珍しい変わった物事を好むこと

 【大意】
 上人は好事家で、花のためには逆立ちしても惜しくはない。ただ立派な花を愛して、銭には愛着がない。だから、毎年花の奇種を購うために、山を下りて(寺をから里へ出て)衆生に時々銭を乞われる。

 …と、こんな意味のようであります(^.-)☆
 歌碑の近くの参道脇には、こんな説明板も…

 ◆備後国分寺(増寺)跡

 天平13(741)年、聖武天皇発した国分寺建立詔(みことのり)によって、この地に備後国分寺(増寺)が建立されました。寺の正式名称を「金光明四天王護国之寺」と称し、律令国家体制の完成期に鎮護国家の経義に基づいて造営されたものです。昭和47年度からの四次にわたる発掘調査によって、東西600尺(180メートル)の寺域が判明し、また、塔・金堂・講堂ならびに南門跡の検出により、いわゆる法起寺式伽藍配置をなすことが明らかになりました。南門は古代山陽道に面して開き、立地として重要な位置を占めると同時に、広大な寺域内に残る堂塔の遺構から官寺である国分増寺の雄大な伽藍の規模が想定されます。

 --- 平成17年3月 福山市教育委員会・神辺町観光協会 ---

 山門から境内へ向かってみます。まずは、仁王様をパチリ(^.-)☆
 山門を潜りますと、まず眼に入りますのが、「行基菩薩像」と「まんだら石」です。〝行基菩薩像〟と〝まんだら石〟の間には説明板が設置され、こんな記載がありました(^-^)//"

 ◆行儀撮像(左)

 行基は奈良時代の高僧で、河内の人。民間布教と社会事業に尽力し、奈良東大寺大仏造立に際しては大勧進として全国を行脚して寄付を集め、わが国最初の大僧正に任ぜられた。諸国國分寺創建にも関わったとされ、本堂にも坐像を安置する。今日なおその威徳を称え行基菩薩と敬われている。

 ◆まんだら石(右)

 インド文字を縦書きにした梵字悉曇文字を刻む。中央の大きな文字は、大日如来の種子(仏を一字で表示した梵字)で「アーク」と読み、周りには月輪上に光明真言が下左より梵字23文字で掘られており、「オン・ア・ボ・キャ・ベイ・ロ・シャ・ナウ・マ・カ・ボ・ダラ・マ・ニ・ハン・ドマ・ジンバ・ラ・ハラ・バ・リタ・ヤ・ウン」と読む。光明真言は一切諸仏菩薩の総呪であるが故にまんだら石という。

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