この〝迫山1号墳〟から更に奥に進む道がありますから、それを進めば、まだ古墳があるのかも分かりませんけど、それはまたの機会に(^-^)
迫山1号墳の周りを見て廻りましてから、再度、説明板を確認です。
迫山第1号古墳(広島県史跡)の横穴式石室内から出土しました〝単鳳環頭大刀(たんほうかんとうたち)〟。
柄に8面体の金銅製筒金具、柄頭に楕円形(長径6.0cm、短径4.3cm)の金銅製環頭が装着され、環頭中央に鳳凰、周りに2頭の龍が施されています。県内では3例目の単鳳環頭大刀との事ですけど、説明板の写真は〝環頭太刀柄頭〟のみ。
いくら立派な太刀でありましても、保存環境が悪くて「柄頭」のみとは残念ですねぇ~
もぅ3年前になりますでしょうか…岡山県真庭市の〝大谷1号墳〟に出掛けた事がありますけど、この古墳からは、大変保存状態のイィ〝双龍環頭大刀〟が出土しています。
◆双龍環頭大刀(そうりゅうかんとうたち)
柄頭だけでなく鞘の栫も良好に遺存し、全体の形状がよく分かる点で希少な古墳時代の環頭大刀である。
柄頭、鍔、鞘の飾金具および責金具は金銅製で、鉄製の刀身や鞘木も部分的に残る。柄頭には透かし彫りにより2匹の龍が向かい合わせで玉を食む姿が表され、柄や鞘にはS字形または蕨形のモチーフで飾られる。双龍環頭大刀は、朝鮮半島の新羅などの影響を受けて6世紀に古墳の副葬品として登場し、本品は龍文様の退化などから7世紀にまで製作年代が下ると推定される。
古墳時代の対外交流をうかがい知る考古資料として非常に重要である。
◆大谷1号墳
定古墳、定北古墳から中津井川を挟んで南西には、定北古墳より少し遅れて7世紀後半に作られたと思われる大谷(オオヤ)1号墳があります。昭和63年(1988)になって発見されました。
方形3段の墳丘の前面部にだけ更に2段の石段があって、計5段の方墳という全国でも珍しい形式で、定古墳との共通点があります。木棺と陶棺の他、なんと全面に金箔の貼られた双竜環頭太刀や金銅製品など、やはり貴重な出土品が見つかっています。
被葬者は、壬申の乱で大海人皇子(後の天武天皇)に味方して功績のあった吉備大宰石川王(キビノオオミコトモチイシカワノオオキミ)ではないかといわれており、当地と大和朝廷との深い関わりが推測されています。石川王は鬼ノ城の主とも言われており、日本書紀によると、679年に没した際に天武帝より諸王二位を贈られています。
この〝双龍環頭大刀〟を眼にしていますから、〝単鳳環頭大刀〟も保存状態が良ければ、こんな太刀だったのだろぅなぁ~と、勝手に想像してしまいます(^-^)
〝迫山1号墳〟を充分拝見しましたので、それではこの辺で下山です。
落ち葉が結構ありますから、足を滑らせませんよう慎重に下りませんと(^-^)
登り口近くまで下りて来ますと墓地が…随分古そうな墓石ですけど、いつの時代のお墓なんでしょうねぇ(^-^)//"
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)