歴史民俗資料館内の見学を終えますと、今から40分間の自由行動となります。
この間に、各自昼食タイムです。
皆さん、弁当持参ですから、思い思いに〝みろく自然公園〟内の適当な場所へ。GONsanは、藤棚下のテーブルへ(^-^)
日差しがありませんこの時期なんですけど、風が有りませんから冷たさも無し。とても、行楽日和とは言えませんけど、持参弁当は美味しいものでありました(^.-)☆
昼食を終えますと、皆さん、三々五々、〝みろく自然公園〟内を散策です。GONsanは、再度、〝みろく自然公園〟の案内マップを確認の上、スグ近くの展望台に上がってみます事に…
展望台に向かっておりますと、どなたかの銅像が…台座には〝軒原庄蔵氏像〟と刻まれています。ふ~ん、水利土木功労者の〝軒原庄蔵〟sanですネ(^.-)☆
歴史民俗資料館内に、こんな説明書きがありましたネ。
◆水利土木功労者・軒原庄蔵
文政11年、富田中村に生まれる。当時の庄屋・軒原庄蔵は漏水甚だしい「みろく大掛井」の惨状に苦慮し、玄光谷より三ツ石に至る山底の掘り抜き導水を企画、安政2年ようやく許可を得て、東西双方より昼夜3年の掘り抜き工事を実施。庄蔵の卓越せる技術によって安政4年、105年間に及ぶ石穴が完通した。
この偉業により富田中村の田は永久に水利の便益をうける事となった。文政5年、弥勒池普請成就の功により郷侍格(ごうふかく)を申しつけられた。なお、工事監督した田面村の多田信蔵(画家霞岳)、更に地勢の高低を測定して両穴の連結を方向付けた富田中村の算数学者、萩原栄次郎があった事を忘れてはならない。
その後、明治2年8月、高松藩より満濃池穿さく工事御用を任命され明治3年3月、30間5尺余の穿さく工事に成功した。その土木技術のすばらしさは、さぬき溜池史にさん然と輝いている。明治23年、63歳で逝去された。
…と、こんな方でありまして、仲々立派な方でしたのでしょうねぇ~
この銅像の後方には、イノシシ捕獲用の箱罠が…う~ん、ここでもイノシシが出没しますようですネ。
展望台に到着しますと、どなたもおられません。チョッとした広場で確かに展望台が設けられてはおりますけど、眺望は今一。
即、下山となりました(^-^)//"
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