◆Ⅲ 弥生人の墓
古墳時代になると各地に前方後円墳を代表とする古墳が豪族や王の墓として築造されますが、弥生時代には既に大規模な墳丘をもつ墓が出現しいます。
さぬき市でも弥生時代後期から各地で弥生墓が発見されていますが、
家族墓(極楽寺墳墓群)
支配者の墓(奥10号墓、奥11号墓)
乳幼児の墓(森広遺跡、寺田遺跡)
など、様々な性格の墓が見られ、また墓の立地場所は、
丘陵上に築造されたもの(奥10号墓、奥11号墓)
平野に築造されたもの(森広遺跡、尾崎西遺跡、陵遺跡)
墓域を形成するもの(古枝6号遺跡)、など様々で
墓域を形成しないもの(寺田遺跡土器棺墓)など様々で有るのが特徴です。
大規模な墳丘をもつ墓は支配者の墓と推測されますが、
竪穴式石室を設けたもの(奥10号墓、奥11号墓)
前方後円形の墳丘になっているもの(森広遺跡、尾崎西遺跡)
古墳の葺石のように墳丘斜面に石材を使用しているもの(尾崎西遺跡、陵遺跡)などがあり、次の古墳時代の古墳へと発展していく要素を既に弥生墓の中に見ることができます。
◆巴形銅器
明治44年(1911)5月、現在の森広天神境内東側を開墾作業中、地下約30cmの深さから8点の巴形銅器が一括して発見されました。森広遺跡の名前を広く学会に知らせた銅器であります。
巴形銅器はその特異な形態から、スイジ貝を模したものとか太陽を表現したものといった推測がなされていますが、実態は不明です。
弥生時代に属するものは全国でも22個しか発見されていない貴重な遺物であり、そのうち8個は、本町で発見されました。
出土したものは、截頭円錐形(せっとうえんすいけい)の本体に左回りに旋回する7本の脚状の突起を付けたものです。形態的にみて頭部の径が大きく器高の低い3例と、頂部の径が小さく器高の高い5例の2種類に分類することができます。
出土状況から一括して埋納したものと考えられています。
これらは、現在すべてが東京国立博物館に所蔵されていますが、寒川町制施行40周年を記念して、複製品が作成されました。
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