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 ◆さぬき市の中世石像物

 鎌倉時代になると供養塔として五輪塔、宝篋印塔などの石像物が造立されるようになります。一般的に鎌倉~南北朝時代は大型ですが、室町時代になると小型化し数が増大する傾向があります。その背景には供養塔を造立する階層が広がったと、墓石としての供養塔の使用が増大した事が考えられます。
 さぬき市内でも各所に見られますが、他地域に比べて石幢が多いのが特徴になります。
 また、香川県の場合、中世段階の石像物の石材はその多くが軟質の凝灰岩を使用していましたが、さぬき市内では火山で採石される火山岩が著名です。

 ◆雨滝城跡

 所在地:大川町富田中216番地の1 他
 所有地:大川町 他

 ・概要

 雨滝山は大川・寒川・津田三町に跨り、海抜253m、この頂上に長禄年間(1458頃)安富山城守盛長が城を構え、以来築後守盛正、筑前守盛方、肥前守盛定と相次ぎ、天正11年(1583)長宗我部元親勢の侵攻に遭って降伏落城した。
 本遺構は、瀬戸の海を扼する要衝にあり、天然の要害地形を巧みに取り入れて普請された典型的連郭式山城である。山頂本丸跡を中心に、東方二段・西方五段・北方五段、三方尾根上に削平地が形成されている。昭和57年、本丸を含め七郭、昭和45年に西第五郭部、計八郭の発掘調査が行われた。南第二郭を除き、すべての郭に礎石が検出され、建物遺構の存在が裏付けされている。各部をつなぐ犬走り・掘切・土塁等の遺構も明らかとなった。
 出土した遺物としては、土師質土器・備前焼甕・中国製陶磁器・古瓦(いすれも破片)・坩堝(るつぼ)・鉄滓・小柄・短刀・透し彫り鍍金金具・輸入銭(唐・北栄銭)・貝・王石・焼けた壁土等で、注目すべき山城解明に貴重な資料を得ている。
 安富氏は応仁の乱に武将として出陣、乱後は西讃の香川氏とともに細川氏の守護代として讃岐を二分して東讃を管轄した。平素の居館は雨滝山麓の城山、その他石田、津田側などにあったと推定されている。

 --- 大川町教育委員会 ---

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