依然としてコロナ禍での行事ですけど、12/15(木)は、我が町内老人クラブの〝秋の研修会〟開催でありました(^.-)☆
今回の講師は、3~4年前にもお願いしました、法宣寺(福山市鞆町)副住職sanによる『お坊さん落語』でありました(^-^)
GONsanは、今回が初めての拝聴となりましたけど、我が老人会を始め水呑交流館では、何度か講師をお願いしております法宣寺副住職sanであります。
定刻、A.M.10:00に老人会会長sanのご挨拶で、研修会スタートとなりました。
法宣寺副住職sanの「お坊さん落語」につきましては、4年ばかり前に崇興寺ご住職の慶樹チャンがWEB上に綴っておられますので、これを転載で、本日の雰囲気をお伝えしたいと思います(^-^)/
◆お坊さん落語~法宣寺堤亭~
--- 2018-03-05 18:18:27 https://ameblo.jp/soukouji/entry-12357831601.html ---
広島県福山市のお寺・崇興寺(そうこうじ)の住職 枝廣慶樹です。
今日は久しぶりに雨が降りましたね。自転車で出かけた私はびしょぬれになってしまいました(^^;
ということで、今日は自転車で外出して「お坊さん落語」を楽しんで来ました。
というのも、御門徒さんが自宅ガレージを改築して月一でサロンをしておられ、地域の方の憩いの場になっているんですが、
そこに、この度は、お坊さんで落語をされる面白い方が来られるという情報をゲットしまして、これは行かねば!と、と行ってきた次第です。
落語をなさるのは、鞆町法宣寺副住職の堤さん!
なんとまだ29歳という若さ!私よりも三歳も若いです。
芸名は、法宣寺堤亭とのこと(笑)
落語の前に、自ら出囃子の三味線を演奏され高座に座られました。
そこからは、怒涛の笑い笑い笑い!集まった30人のオーディエンスが大笑いです。凄いの一言。
もともと、絵本の読み聞かせボランティアをなさっているようで、そこから派生して落語をなさるようになったそうです。努力の人ですね。
「せっかくだから崇興寺のご住職も漫談しなさい!」とか無茶ぶりされましたが、丁重にお断りしました笑
こうしてお坊さんが、どんどん外で活躍することは喜ばしいですね。
私も真似はできませんが、頑張っていきたいと思いました。
堤副住職とも何かしらで、コラボレーションできたらいいですね!
というか、こんなサロンを毎月自宅でやってる御門徒のバイタリティーが凄いです。
コーヒーと手作りケーキを振る舞って、参加費は投げ銭です。
なけなしのお小遣いから、精一杯投げ銭してきました笑
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浄土真宗本願寺派 明石山崇興寺
〒720-0821 広島県福山市東川口町3-17-18 TEL:084-953-0779
崇興寺Facebookページ https://www.facebook.com/soukouji1671/
崇興寺HP https://soukouji.com/
せっかくですから、法宣寺(福山市鞆町)sanも、WEB上の記載からご案内致しますと、
◆法宣寺
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
法宣寺(ほうせんじ)は、広島県福山市鞆町後地にある日蓮宗の仏教寺院。山号は大覚山。 国の天然記念物に指定されていた「天蓋松」があった寺として知られる。旧本山は、京都妙顕寺。
創建は南北朝時代の1358年。開基は大覚僧正とされる。
江戸時代は朝鮮通信使の宿泊所として利用された。江戸時代後期には加藤清正を祀る清正公堂が建立され、清正信仰の場であった。
・天蓋松
開基である大覚僧正の手植えと伝わる推定樹齢630年の黒松で、国の天然記念物に指定されていたが、1991年に枯死した。幹の周囲は3.3m、枝張は30mに及んだ。
・仏像
七面大明神像 - 江戸時代後期、木彫、像高53cm
清正公大神祗坐像 - 総高14cm
清正公大神祗の腹こもり坐像 - 総高40cm
◆法宣寺の天蓋マツ
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
法宣寺の天蓋マツ(ほうせんじのてんがいマツ)は、広島県福山市鞆町後地の法宣寺境内に生育していたクロマツの巨木である。法宣寺の開基大覚大僧正手植えの木と伝えられ、推定の樹齢は630年とされていた。「まれに見るクロマツの名木」として1944年(昭和19年)に国の天然記念物に指定されたが、1991年(平成3年)夏に枯死している。
・由来
法宣寺は山号を「大覚山」といい、創建は南北朝時代の1358年(正平13年)である。開基は大覚大僧正と伝えられ、日蓮宗大本山妙顕寺(京都市上京区)の末寺である。大覚は諱を妙実といい、日蓮宗の高僧として後光厳天皇の信頼が厚い人物であった。1358年、大覚は鞆に上陸して法華堂を建立し、この地を拠点として説法を始めた。それ以後、鞆は西国における法華布教の重要拠点となり、法宣寺は三備(備前、備中、備後)日蓮宗の重要寺院となって存続し、江戸時代には朝鮮通信使の宿所として使用されていた。
法宣寺の本堂わきには、1本のクロマツの巨木が生育していた。このマツは大覚の手植えと伝えられ、その伝承が確かであれば樹齢は約630年であった。本堂の向かって左側から生え出たマツは、ほとんど本堂の前庭を覆うほどに大きく枝を広げていた。1984年(昭和59年)刊行の『日本の天然記念物5 植物III』によると、樹高こそ5メートル程度であったが、目通り幹囲は3.9メートル、根回りは5.2メートルあり、地上から1.6メートルのところで2つに分岐して北東方向と東南方向に枝を広げていて、北東方向へ伸びた枝は基部の周囲が2.76メートルあり、枝張りの長さは23.17メートルあった。南東方向へ伸びた枝は、基部の周囲が2.14メートル、長さは12.5メートルあった。この大きな枝張りから、枝葉の広がりの総面積は総面積は600平方メートルにも達していた。
このマツが呈する独特の樹形が仏像などに差し掛ける装飾の「天蓋」に似ているため、「天蓋マツ」という名称で呼ばれるようになった。天蓋マツは「まれに見る名木」として評価され、1944年(昭和19年)11月7日に当時の史蹟名勝天然紀念物保存法に基づき、国の天然記念物に指定された。
天蓋マツは1980年代後半まで、旺盛な樹勢を保っていた。しかし、1991年(平成3年)の夏に松くい虫の被害に遭って枯死し、1993年(平成5年)7月16日付で天然記念物の指定も解除された。法宣寺の境内には、支柱や切り株などが残されている。
…と、こんな『法宣寺』であります(^-^)//"
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