![01-720](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/0/6/063d41d8-s.jpg)
![02-720](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/1/7/17f16589-s.jpg)
![03-720](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/e/2/e29f0360-s.jpg)
![04-720](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/5/4/542a2733-s.jpg)
![05-720](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/1/5/157804c9-s.jpg)
![06-720](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/0/f/0f575bc8-s.jpg)
![07-720](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/d/9/d9aa123d-s.jpg)
![08-720](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/c/e/ce688935-s.jpg)
![09-720](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/a/d/ad7eb8d1-s.jpg)
![10-720](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/f/d/fd9fbf0b-s.jpg)
![11-720](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/4/9/4912e769-s.jpg)
![12-720](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/8/a/8afad936-s.jpg)
![13-720](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/2/4/243ee6c8-s.jpg)
![14-720](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/c/1/c160d01e-s.jpg)
![07-720-555](https://livedoor.blogimg.jp/rabbe/imgs/4/1/41b19a8f-s.jpg)
交流館内から駐車場に出ますと、テントに向かって長い列が(^-^)
A.M.10:00・P.M.01:00に、餅つきの実演・配布がありますから、そのお餅を貰うため、早くもお集まりの方々ですねぇ(^.-)☆
GONsanは、史跡巡りの受付に向かいますと、既に皆さんお集まりでありました。ザッと見廻しますと、多分、総勢28名での史跡巡りとなりそうですネ。
受付で、資料とお茶を戴き、創樹会sanのマイクロバスに乗車です。
今回の史跡巡りは、Aコース・Bコースの2グループに分かれての実施のようで、Bコース申し込みのGONsanは、
◆Bコース
集合時間--10:00 出発--10:10
集合場所--交流館東隣空き地
行程--交流館⇒鞆鉄道半坂駅の看板→妙見北の鳥居→松尾神社→法界碑→洗谷の看板→洗谷新田の水門→旧洗谷橋跡→洗谷貝塚→本木跡→宮ノ下洗谷新田⇒交流館(⇒バス・→徒歩)
…と、こんなルートで巡りますようであります(^.-)☆
◆社会福祉法人 創樹会(社会福祉法人 創樹会)
創樹会は、知的な障がいがある人たちが幸せに活きいきと生きていけるように、日々の生活を通して援助していく施設で、児童園・成人寮・通勤寮・デイサービス・居宅介護事業など多目的機能を有しています。
園訓は素直で 明るく たくましく
(支援のかまえ)
・いつも子供たちの心と身体をみつめていよう
・いつも子供たちの心になって考えよう
・まわりの物や空気が子供を動かしていることを忘れまい
「みんなダイヤモンド」の思いを旨に、「活き活きと生きる人たちを心を込めて大切にする“福六の心”」と故田中了諦園長の言葉「ハングリーな心を忘れず、弾力を持ってことに臨む」気概を大切に、役職員ともども激動する障害福祉の環境の中で独自の「嬉しいサービス」を組み立てながら創設 60 周年に向け果敢に挑戦してまいります。
…と、こんな「創樹会」sanでありまして、水呑学区の行事には何かとお世話になっておりますから、有難いですネ。
マイクロバスは、「セブンイレブン水呑半坂橋店」の駐車場到着で、ここで下車。丁度、真ん前のこんもりした山が「中山城跡」ですネ。
いよいよ史跡巡りがスタートで、まず向かいましたのが「鞆鉄道半坂駅の看板」の設置場所。ここから対岸の光小学校辺りまで鉄橋が架かっておりまして、鉄道廃止後も暫く鉄橋は残っておりましたけど、いつしか撤去。土手の橋桁・半壊の鉄橋は、GONsanが中学生時代には未だ存在しましたけど、これもいつの間にか撤去。当時の面影は凡て無くなりましたネ。
◆鞆鉄道
明治43年11月18日より鞆・福山の野上駅間11.784kmの工事を始め、大正15年12月19日に鞆鉄道株式会社となる。水呑町内には葛城・水呑・妙見で妙見駅より直ちに東折して、芦田川の木橋を渡っていたが、昭和2年、芦田川改修工事の結果、水呑、草戸の境界に近いところに半坂停留所を作り、延長375.21mの橋架17m鉄橋を架けて上流を渡るようになった。
昭和3年8月開通、これにより水呑町内の同鉄道の路線延長は、5,487mと伸びた。昭和2年12月に造った水呑薬師停留所と共に5ヶ所の乗降場になった。
昭和2年7月25日より、鞆・福山間の乗合自動車の運行を開始し、汽車8往復、乗合自動車32往復であった。
昭和29年2月28日を最後に鉄道事業廃止した。この期間約40年間中約30年間用いた、機関車の煙突の方が辣(らっきょう)汽車の愛称を受けていた。馴染み深き辣汽車は永久に姿を消した。
-- 水呑歴史民俗資料保存会 資料より --
※ 当時の鞆鉄バスには、『鞆鉄』でなくて『鞆鉃』と車体に記載されていましたネ。これは、『鉄』を使用すると『お金を失うから』との理由からでした。これには、未だ子供でしたGONsanですけど、さすがに笑えましたネ(^-^)//"
それと、中学2年の社会科の授業中でしたか…この『鞆鉃』の記載に先生が、「何事も、充分な確認を行い、その上で実施しなければならない。『鞆鉃』の表示は、確認が不充分だから誤記となる。皆は、くれぐれも留意するように!!…」ですから、これにも随分笑えましたネ。学校の先生も、専門外の事項に関しては、結構、無知なんだ…と(^-^)/"
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)