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 次は、「静観寺」に向かいます。

 ◆静観寺

 --- https://tomonoura.life/spot/12660/ 鞆物語 ---

 鞆の浦で最も古く、そして最も多難なお寺・「静観寺」。創建は806(大同元)年、最澄によると伝えられています。当時は、7,000坪の大敷地に七堂伽藍が建ち並んで、五重塔も天を衝き、たいへんに栄えていたといいます。
 ところが、相次ぐ戦乱や火災によって、多くの文化財は焼失。残念ながら現在では往時の栄華を物語るものは残されていません。
 それでも、この「静観寺」はしっかりと命脈を保ち、今でも、鞆一番の古刹として人びとに愛され続けているのです。時が止まったような、ほっと落ち着けるお寺さんです。

 ・松上げ地蔵尊、奇跡の脱出劇
 江戸中期、「静観寺」で大火災が発生しました。風強く、火の回りが早すぎて、時のご住職は身一つで避難。ああ、ご本尊を焼いてしまった…そう嘆きながら、ふと庭の松の木を見上げてみると、何とそこには、ご本尊である「お地蔵さん」が座っているではありませんか!
 そういう顛末から、ご本尊は「松上げ地蔵」と称され、現在でも守りの菩薩として信仰を集めているのです。
 ◇ご本尊の頬には、その時のヤケドの痕が残っているとか…

 ・鞆ねこも寄りつく、ご住職のお人柄
 この「静観寺」には、積もった歴史以外にも、注目ポイントがあります。それが、ご住職のざっくばらんな“鞆語り”。ご住職が洒脱な口調で、鞆の歴史を教えてくれるんです。そのご住職のお人柄は、人間だけでなく、ねこも呼びよせちゃう。にゃあと鳴いて、いつの間にか境内に居ついてしまった、このねこ君。きみにも、ここは居心地がいいんだね。
 ◇静観寺、鞆ねこもお気に入りの癒しのスポットです

 静観寺の山門下には、「鞆の浦 de ART 2022」の作品の展示が…
 WEB上で「ヨシダ コウブン」sanを検索しますと、こんな記載が…他の「山戸克展・ユキコフジイ」のお二人は、WEB上にはお名前が出て来ませんでしたネ。

 ◆ヨシダ コウブン

 1953年--熊本県生まれ、1996年--銅版画集「不思議な鳥」発刊、1997年--あうん展(ニューヨーク/128ギャラリー)、1997年--熊本国体記念 石のモニュメント制作、1997年--熊本県スカイドーム 大理石と陶板のレリーフ製作、2000年--ニューヨーク作家との交流展(ニューヨーク/WAセンター)、2001年--INTERNATIONAL SHOW(ニューヨーク/セーラムギャラリー)、2003年--個展「日常のメルヘン」(さいたま市/ギャラリー櫻守)、2004年--個展「白い鳥のカタチ」(福山市/ふくやま美術館)、2006年--個展「ケモノのカタチ」(大阪市/海月文庫)、2009年--個展「いのちのカタチ」(東京六本木/サボアヴィーブル)、2012年--AHAF HK12 ART FAIR(マンダリンオリエンタルホテル/香港)、2013年--個展「神のケモノ」(鳥取市・ギャラリーあんどう)、2015年--個展「ピュアーな天使」(東京八重洲・T-BOX)、2015年--グループ展「森羅万象」(東京下北沢/ギャラリーHANA)、2016年--むらいゆうこ・ヨシダコウブン二人展「天使たちの午後」(長崎市/ギャラリーエム)、2016年--小林雅子・ヨシダコウブン二人展 「冬の王国」(倉敷市/サロン・ド・ヴァンホー)、2016年--ヨシダコウブン個展「たおやかな天使」(今治市/薫林庵)、2017年--仲恵子・ヨシダコウブン二人展 「天使」(京都市/ギャラリーアイ)、2017年--ヨシダコウブン個展「ナツノハナ」(岡山市/ギャラリーゼット)、2017年--グループ展「森羅万象 Ⅱ」(東京下北沢/ギャラリーHANA)、2018年--安達知江・ヨシダコウブン二人展「いのちのかたまり」(東京日本橋/ルーニー247)、2018年--ヨシダコウブン展「ふたつとない世界」(神戸市/カン・フラワーデザイン)、2018年--對馬有輝子・ヨシダコウブン展「かみへのみつぎもの」(東京/ギャラリーHANA)、2019年--ヨシダコウブン個展「天使なケモノ」(岡山市/ギャラリーゼット)、2019年--グループ展「森羅万象 Ⅲ」(東京下北沢/ギャラリーHANA)、2019年--アートフェアーアジア2019(福岡市/ホテルオークラ福岡)、2019年--李ユンギョン・ヨシダコウブン展「RESULT・RESULT」(福山市/くわみつ)、2020年--ヨシダコウブン個展「飛べたよ、飛べたー」(玉野市/サンコア)、2020年--ヨシダコウブン個展「やさしいケモノ」(東京下北沢/ギャラリーHANA)、2012年~2021年--鞆の浦de ART キュレーター他、主に個展を中心に、立体、平面作品の発表を続ける。

 ノンビリとお寺巡りをしていましたGONsanですけど、そぅでした、今回の主目的は「鞆の浦 de ART 2022」の作品鑑賞でありました。静観寺に展示の作品が今回最初の鑑賞となりましたネ(^.-)☆
 GONsanが静観寺からお別れしようとした頃に、入れ替わりに、若者のグループが来訪です。
 それでは、次は、これもスグお隣りの「法宣寺」であります(^-^)//"

 ◆法宣寺

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 法宣寺(ほうせんじ)は広島県福山市鞆町後地にある日蓮宗の仏教寺院。山号は大覚山。 国の天然記念物に指定されていた「天蓋松」があった寺として知られる。
 創建は南北朝時代の1358年。開基は大覚僧正とされる。
 江戸時代は朝鮮通信使の宿泊所として利用された。江戸時代後期には加藤清正を祀る清正公堂が建立され、清正信仰の場であった。

 ・天蓋松
 開基である大覚僧正の手植えと伝わる推定樹齢630年の黒松で、国の天然記念物に指定されていたが、1991年に枯死した。幹の周囲は3.3m、枝張は30mに及んだ。

 ・仏像
 七面大明神像 - 江戸時代後期、木彫、像高53cm
 清正公大神祗坐像 - 総高14cm
 清正公大神祗の腹こもり坐像 - 総高40cm

 ◆法宣寺

 --- https://tomonoura.life/spot/12650/ 鞆物語 ---

 1358(延文3)年、日蓮宗の高僧、大覚大僧正が鞆の浦に上陸し、法華堂を建立したのが法宣寺のはじまりです。日蓮宗きっての実力者であり、後光厳天皇の信任も厚かった大覚大僧正がこの地で説法を始めたことで、鞆の浦は一躍、西国法華布教の拠点となり、お堂も「大法華堂」と称されるようになりました。以後、多少の盛衰は経ながらも、法宣寺は三備(備前、備中、備後)日蓮宗の重要寺院でありつづけ、江戸時代には朝鮮通信使の宿所にもなっていました。

 ・治病除災に清正公参り
 友光軒の前の四つ辻から、鞆小学校前を経て法宣寺に至る道筋を、「清正公道(せいしょうこうどう)」と呼びます。これは江戸末期、法宣寺境内に加藤清正を祀るお堂があり、多くの参拝者を集めていた名残です。法華信仰の篤かった清正は、死後主に日蓮宗徒の間で治病除災の神として崇められたのです。清正公堂はなくなりましたが、今でも法宣寺には二体の清正公像があります。そのうち一体はなんと、清正公自彫りとの伝承も!
 ◇清正公も唱えた「南無妙法蓮華経」

 ・この世は無常、だが―
 かつて法宣寺には国の天然記念物がありました。大覚大僧正お手植えと伝わる黒松の巨木です。その枝ぶりから「天蓋マツ」とも呼ばれ、鞆の浦の人々の誇りでしたが、残念ながら、1991年夏、六百余歳で枯死しました。支柱と切株だけが残った跡地は、無常の想いを呼び起こします。ただ不思議なのは、老松が枯れて以来、今まで影が薄かった隣の紅梅が生気を得て、最近では新しい花の名所になっていることです。往く者あらば来る者あり。春の境内でそんな感慨にひたるのも「あり」かもしれません。
 ◇春になり雅に花をつける紅梅―、老松より生気を受け継いで

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