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 山門脇の説明板には、こんな記載が…

 ◆正法寺(しょうぼうじ)

 正法寺は、1598年に建てられました。
 山門は1800年代に造られ、今も残っている大変貴重なものです。当時、和尚は布教とともに庭造りにも熱心で、朝鮮通信使の定宿としても利用されました。境内の羅漢堂には、十六羅漢像が安置されています。本堂奥に毘沙門天が祀られています。

 それでは、次は「慈徳院」へ。

 ◆慈徳院

 --- 鞆物語 https://tomonoura.life/spot/12651/ ---

 臨済宗妙心寺派、山号は大悲山、院号は慈徳院。

 慶長年間、備後国を領有した福島正則によって、鞆の浦の寺々はほぼ一直線に結ばれ、寺町が形成されました。その寺町筋に位置するお寺のひとつが、この慈徳院です。福島正則が大檀越(だいだんおつ/「檀越」とは、仏教を後援する人のことをいいます。仏僧に帰依し、衣・食・住に関してのお布施をしたり、お寺の経営を支えたりします)となり、ご本尊・聖観世音菩薩像を寄進。そして、高僧・松雪得松禅師が開基したと伝えられています。その後、中興の祖・月湛(げったん)亮和尚がご本堂を再建し、現在でも、境内に美しい緑をたたえながら、鞆の浦の町に静かに佇んでいます。

 ◇山門の意匠も見どころたくさん
 -- 思わず息を飲む、山門の見事な意匠、鬼瓦 --
 慈徳院の山門は、寺伝によると昭和17年ごろに再建されたものだといいます。この山門は薬医門の形式をとっており、屋根には立派な鬼瓦が見られます。その山門をくぐると、ふわりとした空気が流れる静かなお庭が迎えてくれます。四季折々で表情を変えるお寺さんのお庭―、鞆っこにとっての癒しの空間です。

 ◇静かに佇む薬師堂、先進的な国際的商業港のなごりが、ふわり
 -- 国際的な港町の先取の気風―、宗派問わない薬師堂 --
 境内には薬師堂がしんと佇んでいます。当時の芸備藩主・福島正則がキリスト教に対し寛容であり、また、国際的な商業港としての開放的な鞆の浦の気質も相まって、この薬師堂には、宗派を超えた信仰が集まっています。いかにも、鞆の浦らしい、大らかにして開明的な、信仰の“かたち”ですね。

 続いて、「本願寺」へ。

 ◆本願寺

 --- 鞆物語 https://tomonoura.life/spot/12646/ ---

 正式名称を興楽山道山院本願寺と言い、開基は鎌倉時代の一遍上人と伝わる由緒ある時宗寺院です。元は沖見堂(沖御堂)と称して鞆港に近い西町にありました。「沖見堂」の名称から、航海の安全を保つ灯台の役割を果たしていたのではないかという説もあります。
 寺領も広く、境内に五坊を有する大伽藍でしたが、毛利氏に寺領の大半を没収され、その後福島正則によって行われた慶長年間の町割りで町の北の端にあたる現在地に移転しました。江戸時代を通して、朝鮮通信使の定宿でもありました。

 ・時宗の開祖、一遍上人に想いを馳せて
 備後地方には時宗の寺院は珍しく、江戸時代、福山領内の時宗寺院はいずれも鞆の浦にある原村の永海寺と、西町の本願寺の2寺だったそうです。永海寺はその後焼失して廃寺となってしまったので、現在は本願寺のみが孤塁を守っています。開基一遍上人の立像も安置されているこのお寺で、日本の宗教史に想いを馳せてみてはいかがでしょう。

 ・無限の優しさを秘めた石造りの観音像 -- 衆生済度の観音像 --
 境内にある小さなお堂には、石を彫って作った素朴な千手観音がまつられています。千手観音とは、千手千眼観世音菩薩の略で、それぞれに眼の付いた千本の手で、衆生をもれなく救って下さるありがたい菩薩様です。除怨、滅罪の観音様として、鞆の浦の人々の信仰を集めて来た千手千眼観世音菩薩。手を合わせれば、もちろん旅人である私たちも、もれなく救って下さるに違いありません。

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気が向かれ、覗いて見て頂けましたら嬉しいかも(^-^)/"