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 ◆備後安国寺 本堂庭園(広島県福山市鞆町後地)

 --- http://junreiwoguranomiyabi.blog.fc2.com/blog-entry-1115.html ---

 ・昭和の造園家が絶賛した戦国の造園(2022.1.9)

 釈迦堂を内陣で参拝したあとは堂の裏手にある庭園へ。
 説明板では庭園に並んでかつて本堂・庫裏があったとありますが、今は跡を残すのみです。
 『安国寺の伽藍配置は各禅宗本山に見るものと同じ直綜式の三門・仏殿・法堂・方丈が完備されていたと推定され、方丈側面の庭園として室町期の枯山水が安国寺方丈庭園として荒廃されながらも保存されてきた。
 枯山水式庭園で、白砂や岩石で滝や流水を表現した室町末期の作庭と推定される。
 三途の川には石橋、蓬莱山には岩石の仏様を置いた蓬莱式庭園とも呼ばれる。
 中央の鶴島には蘇鉄、亀島には松を植えた鶴亀式庭園。鶴亀式庭園は戦国時代に流行したもので、武将が自分達や主家の繁栄を願って作庭したものである。石橋の矢穴や長さ高さが桃山期の手法で、慶長4年(1599年)安国寺恵瓊が改造したと伝わる。』 とあります。

 説明書に拠れば荒廃していた庭園を復元修理したのは昭和の作庭家・重森三玲氏。これに拠り作庭当時の美観を取り戻したとされます。
 本庭は室町末期の庭園として有名な京都大徳寺大仙院、妙心寺退蔵院の庭園の折衷として構成されていますが、部分的には枯瀧の石組みは天正期の京都本法寺に類似したりと様々な時代の要素が見られます。
 中国路最古の枯山水庭園と言われ、参拝者は石に腰掛けながらゆっくり眺める事ができる訳ですから、堂宇は無くなったと言え恵瓊の意志は今に生きているといえるでしょう。

 ◆安国寺(あんこくじ)のソテツ

 --- https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/64087.html ---

 ソテツは九州南部から琉球列島に分布する常緑の裸子植物であるが、関東以西の各地で植栽され巨大な株に生長している名木・大木も少なくない。
 安国寺のソテツは安国寺釈迦堂(重文)の背後にある枯山水の庭園内にあり、2株となっている。根廻りは5.65mと5.45m、樹高約9mで、県内有数の大木で庭に風情をそえていたが、白蟻と台風の被害を受けて倒れ、現在その根株から新しい葉茎が伸び、昔日の面影をわずかにとどめている。

 ◆安国寺のソテツ

 --- https://www.jalan.net/kankou/spt_34207ac2100139847/kuchikomi/0005287501/ ---

 かつては巨木だったという安国寺のソテツですが、シロアリと台風の被害で倒れ、今はその根株から生えた株から往時を偲ぶしかありません。
 ただ、前回訪ねた時と比べると、かなり大きくなった印象を受けました。安国寺には門を入ったところにもソテツが植わっていますが、件のソテツは本堂裏の庭園にあります。
 安国寺庭園にはもう一つ見るべき木があります。それは楷の木です。
 安国寺は足利尊氏ゆかりの寺であることから、栃木県足利市から贈られたものだと説明されていました。大正4年に白澤保美博士が中国の孔子の墓地、孔林から持ち帰った楷の木の種子がもとになっているそうです。ウルシ科の高木で紅葉が美しいことで知られていますが、日本には自生していません。次回はこの木の紅葉を見るために秋に訪ねたいと思いました。

 …と、WEB上の記載から引用しますと、こんな安国寺庭園でありますようです。
 それでは、安国寺とお別れし、お隣りの「正法寺」に向かいます。

 ◆正法寺

 1598(慶長3)年に創建された臨済宗の「正法寺」。
 京都の東福寺派・守意を開祖とした400年の長い歴史を持つお寺で、江戸時代には朝鮮通信使の常宿としても利用された名刹です。境内のお堂には、鞆町の信者により寄進された十六羅漢像が安置されていますが、実はもうひとつ、隠された十六羅漢があるのです。それが、奥座敷にある十六羅漢の屏風絵です。この水墨画は、鞆の絵師・門田勝人さんの筆によるもの。ふたつの十六羅漢、ぜひ鑑賞したいものです。また、お寺の鬼門の北方には、毘沙門天も安置されています。

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