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 10/9(日)は、「鞆の浦 de ART 2022」が開催中の鞆の街を散策となりましたGONsanです(^.-)☆

 ◆鞆の浦 de ART 2022

 ・鞆の浦 de ART 2022 ~ 独創性あふれる“違和感”が心地いい 潮待ち仕掛けのアート祭

 全国のアートファンが集まる「瀬戸内国際芸術祭」をあえて挙げるまでもなく、近年、現代アートと瀬戸内海地域の相性の良さは広く知られるようになりました。
 瀬戸内海を囲む広島・岡山・香川・愛媛県をひとつの文化圏と捉えるなら、そのエリアの橋渡しとなっているのが、いまや現代アートといえるかもしれません。
 そうした機運を盛り上げるアートフェスのひとつが「鞆の浦 de ART」です。

 ・「鞆の浦 de ART」は、どんなアートイベント?

 「鞆の浦 de ART」は、鞆の浦(福山市鞆町)の町一円が現代アートの舞台となるアートフェスです。
 地元有志による実行委員会(鞆の浦 de ART実行委員会)の主催で、会期は2022年9月25日(日)から10月16日(日)(最終日は午後3時まで) 。
 キュレーター(企画・運営者)を、造形作家のヨシダコウブンさんが務め、16人のアーティストと1チームが出展。
 初秋恒例の芸術祭は、2022年に第10回の節目を迎え、太田家住宅(国重要文化財)、静観寺など鞆地区の名所が展示会場となっています。
 また連動企画として、豪華景品付きフォトコンテストを開催しています。
 感性を投影した作品にハッシュタグとして「#鞆アート2022」と添えて、Facebook・Instagramから投稿可能です。
 その他不明な点については、鞆の津の商家(福山市市鞆町鞆606)に設けられた総合案内所(期間中、土・日・祝日のみ)で確認してください。

 …と、WEB上で「鞆の浦 de ART 2022」を検索しますと、こんな記載がありました(^-^)
 では、早速、いつものように安国寺から散策スタートです。
 正面が、高級感と異国情緒に溢れる唐様(禅宗様)建築の安国寺釈迦堂(国重文)で、その手前が安国寺地蔵堂です。

 ◆安国寺地蔵堂

 --- https://bin-navi.com/rekishi-essay/23940/ ---

 ・690年間鞆を見守り続けた優しきまなざし

 戦国時代、足利義昭が御座所とした鞆の浦。「麒麟がくる」で全国的に「鞆幕府」が知られることになった。室町幕府最後の将軍足利義昭は鞆で終焉をを迎えるが、初代の足利尊氏もまた鞆で挙兵した。「足利氏鞆に興り鞆に滅ぶ」と言われるゆえんである。
 その足利尊氏が南北朝動乱の戦没者を弔うために国ごとに一寺一塔(安国寺・利生塔)を建てた。備後安国寺は歴応2年(1339)の建立とされているが、もともとは法燈国師が開山した「金宝寺」(文永10年(1273)に仏堂建立)
が前身である。
 鎌倉時代の金宝寺仏堂が継承された安国寺釈迦堂、その前の参道に堂宇が立っている。安置されているのは鎌倉末期元徳2年(1330)造立の石造地蔵菩薩坐像である。2m余りの堂々とした石仏の、なめらかで丸みを帯びた造形は、慈愛に満ち、手を合わせる者の心をすくいあげてくれるようだ。
 この地蔵菩薩は、藤原貞氏なる者が健在である両親の福寿を祈って逆修法事を修し、供養仏として造立したものである。願主である藤原貞氏が、大変な富裕層であったことがわかる。また逆修石塔の造立は鎌倉時代にはまだ多くなかったという。
 地蔵菩薩は、町の片隅で、今も願主の願いをかなえ続けているのだろうか、それともその役目を終え、衆生を救うために優しきまなざしを向け続けているのだろうか。鞆のもつ歴史の重みは計り知れない。

 地蔵堂の中の石像は、国の重要美術品に指定されている石造地蔵菩薩坐像。舟形光背の丸堀りの石像が蓮華座に乗っています。肩から結跏趺座した下部への流れるような曲線が美しいですネ。
 地蔵堂の中には説明資料がありますので、戴きです(^-^)
 これには、こんな記載が…

 ◆歴史散歩 №253
  安国寺の地蔵菩薩 -- 鎌倉時代の石造仏 --

 鞆町にある安国寺。その参道脇にある地蔵堂に石仏地蔵菩薩が祭られています。地蔵は蓮華座(蓮の花をかたどった台)に乗り、舟形光背(舟を縦に立てた形に似た菩薩の体から発するという光を表す)を背負っています。高さ2mの大型石仏で背面には文字が刻まれています。
 この文字を意訳すると「慈父の恩の高きことは山王のようで、慈母の恩の深きことは大海のようである。私がもしこの世に長く生を受けることができれば、言葉に尽くせるはずのない慈母の恩を説いて回ることであるがそれはできない。それを表現してくださるのは地蔵菩薩しかないと考え、沙弥円乗と比丘尼妙連が善根を積み、逆修してこの地蔵菩薩を建立する。元徳2年卯月(旧暦4月)23日願主藤原貞氏」と読めます。願主とは仏像の建立、供養の依頼、来世往生などの祈願をした人物を言います。
 このことから、1330(元徳2)年鎌倉時代末、藤原貞氏が父(円乗)と母(妙連)の生存中に逆修供養(生前にあらかじめ仏事を修めて死後の冥福を祈ること)を遂げた石仏であることを伝えています。そして、今から約700年前にこの地に地蔵信仰が伝わっており、石仏を造立できるだけの力を持った人物がいたことがわかります。また、年代や願主名、造立の趣旨まで明らかで、石造文化財としての価値が高いことから国の重要美術品に認定されています。

 …と、こんな記載で、ご両親が生存中に供養を執り行い、石仏も造立とは、イィお話しですねぇ~凡人には仲々出来ません事ですし、財政的にも大変裕福な方でしたのでしょうねぇ(^-^)//"

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