石段を下って来ますと、ふん、ふん、ここが「福山西國第4番法然寺」への参道入口でありました(^.-)☆
両側の石灯籠の中央に祠が…何が祀られてありますのでしょうネ…
左側の石灯籠の前の石柱には、「大正十五年十月 施主 檀家中」と刻まれておりました。
それでは、下って来ました石段をそのまま上がり、八幡神社へと戻ります事に…
八幡神社へ戻って来ますと、西神島公園の広場を抜け、再度、石鉃神社に上がってみます事に。
かっては、周囲を海に囲まれました小島でしたけど、中世に入り海はしだいに沖に遠ざかり陸続きになりました「神島」。神島の丘は草戸千軒やその後背にひろがる「長和庄」の北端に位置し、その関門として重要な位置を占め、南北朝時代以降、乱世となり、地域の拠点として城郭が構えられましたのが「神島城」でしたのでしょうネ。
こぅして、石鉃神社の石碑の前に立ちますと、神島城からは、周辺の様子が充分把握出来たものと、当時が充分偲ばれますネ(^-^)//"
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