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 陸軍墓地に向かいます道へと降りて来ますと、この道の山裾には永い歴史を感じさせます墓石群が横一列に…
 何らの説明板もありませんから、どなたの関係の墓石なのかよく分かりませんけど、充分、時の流れを感じさせます墓石ではありますネ。
 道を挟んで、これらの墓石群の前あたりに、「佐戸島(さどしま)小学校跡」の案内板が…

 ◆草戸・川西歴史街道 散策路 <9>佐戸島(さどしま)小学校跡

 この下の広場に明治44年~昭和8年の間、佐土島小学校がありました。
 佐戸島とは現在の佐波町「佐」と佐土町の「戸」、神島町の「島」を組み合わせた名前です。その後、福山市と合併し、草戸町の児童は霞小学校に、他の町の児童は西小学校に編入しました。
 明王院下の石碑あたりから登っていました。併設して村役場もありました。

 --- 草戸の歴史を愛する会 2012年12月協賛 一般財団法人 義倉 ---

 …と、こんな記載がありましたので、小学校跡と思われます広場を見下ろしてみましたけど、雑草が生い茂り足を踏み入れる事は出来ませんでしたネ。
 墓地群前の道を奥に進んで行きますと、陸軍墓地がありますのでしょうけど、今回はスルー。またの機会に訪れてみたいと思います(^-^)

 ◆草戸・川西歴史街道 散策路 <10>陸軍墓地

 --- 草戸の歴史を愛する会 ---

 福山歩兵41連帯墓地として明治41年(1908年)に造られたが、結局兵隊の墓地として使用されることはなく、現在は一般人の墓地となっている。
 当時はこの地から福山市が一望でき、この地で41連帯が演習をしていた。
 この場所が陸軍墓地である証を示すものは少ないが、「陸軍用地」と彫られた石(写真1)がそばの溝に放置されており、(写真2)がこの地から草戸山に登る途中で見つかった。
 また、福山歩兵41連隊墓地造成に関しては、その費用について昭和の初めまで村役場と住民の間で騒動を起こしていたことが古文書から見つかった。

 --- 2013年10月 この事業は福山市協働のまちづくり基金を活用して実施しています ---

 WEB上には、こんな記載も…

 ◆福山陸軍墓地

 名 称 -- 福山陸軍墓地
 場 所 -- 34.47703, 133.34726(座標) グーグルマップ
 福山陸軍墓地は現在、明王院墓地となっている。
 戦後、(福山)陸軍墓地は明王院へ払い下げられ、(福山)陸軍墓地に埋葬されていた遺骨は遺族に引き取られたと資料にあるが、現地案内板には「陸軍墓地が造られることはなかった」とある。どちらが正しいのだろうか?
 (平成26年1月12日参拝)
 ---  http://nippon-gokoku.sakura.ne.jp/rikugun-bochi/60fukuyama/fukuyama.html ---

 それでは、明王院へと戻ります(^-^)//"

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