往路を、そのまま「愛宕神社」まで戻って来ました積もりでしたけど、何処かで進む道を間違いましたようで、愛宕神社のスグ上に戻って来ましたようです(^-^)
愛宕神社に戻って来ますと、こんな説明板が…
◆福山市重要文化財 草戸愛宕神社本殿
--- 福山市草戸町(草戸稲荷神社)1964年(昭和39年)10月10日指定 ---
愛宕神社は明王院の裏山に鎮座し明王院の鎮守社でしたが、明治期の神仏分離により現在は草戸稲荷神社に属しています。
本殿は覆屋内に納められており、宝形造の前面に縋(すがる)向拝があり、唐破風付、桧皮葺(ひわだぶき)とした複雑な屋根(春日造社殿の屋根を宝形造とした珍しいもの)で棟高は3.6m、正面柱間は1.06mの小社である。棟札により寛永5年(1628年)の創建が明らかで、規模は小型だが、各部精巧で意匠が優れており、江戸時代初期の風趣をよく残しています。保存状況も良い。
本殿は覆屋内に納められておりますけど、こんな「草戸愛宕神社本殿」のようですネ。
ついでに、再度、水源地方向に向かいます三叉路もパチリ。「親王院跡」の案内板の後方に、傾いた説明板がありましたのですけど、これは撮りますのを失念でした。
WEB上で「親王院跡」を検索してみますと、こんな説明板でありました(^.-)☆
◆草戸・川西歴史街道 散策路 <8>親王院跡
--- 草戸の歴史を愛する会 ---
明王院裏山の石段を登ると愛宕大権現(明王院)があり、さらに登ると草戸愛宕神社本殿(市重文・草戸稲荷)に出会う。この建物の右手に少し平らになった土地がある。
ここは真如(しんにょ)法親王が承和4年(837年)ころ暫く幽栖(ゆうせい)し、地方の強化に努めた場所とある。真如法親王は平城(へいぜい)天皇(桓武天皇の皇子)の第二皇子である。
大同4年(809年)平城天皇は病気のため同母弟の神野親王(嵯峨天皇)に譲位したが、嵯峨天皇と平城上皇の間の内乱に破れ(薬子の変)平城上皇とともに落髪して、真如法親王は弘法大師に従った。
場所は地図には「奥ノ院」(下図)と記されているが、江戸時代には既にその痕跡を示すものはなかったとある(西備名区)。
住人からは「お公家さん」がいたと伝えられている。
-- 2013年10月 この事業は、福山市協働のまちづくり基金を活用して実施しています --
それではまた、草戸山城跡を目指し、展望台方向に散策続行です(^-^)//"
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