明王院入り口には、「明王院縁起」の説明板が…これらは、こんな記載がありました。
◆明王院縁起
明王院は大同二年(807年)弘法大師の開基と伝えられている。
古来当寺は観音応現の霊場として信仰された。
平安時代より江戸時代に至るまで、この寺の山下には、門前町として繁栄した草戸千軒という港町があり、遠くは朝鮮、中国、南方諸国とも貿易した。
江戸時代初期までは、西光山理智院常福寺と称した。
本堂(観音堂)は鎌倉時代末、元応三年(1321年)の建立で、和様を主とした折衷様式の現存中最古級の建物である。
昭和三十九年国宝に指定された。
五重塔は南北朝時代の貞和四年(1348年)の建立で、純和様である。
現存五重塔中五番目に古い貴重な塔である。昭和二十八年国宝に指定された。
その他、山門、庫裡、書院、護摩堂、鐘楼、五輪塔、七重石塔寺の文化財指定物件がある。
庭園は、江戸時代初期に作庭された平庭として見るべきものがある。なお、本尊十一面観世音菩薩像は、平安時代伝教大師最澄の作と
伝え、重要文化財に指定されている。
--- 平成二十七年九月吉日 明王院現住 弘雄敬白 --
--- 平成二十七年九月二十三日 縁起板修復 福山中央ライオンズクラブ ---
石段を進み山門に向かう前に、まずは庭園を拝見です。今まで、庭園内に入った事がありませんから(^-^)
庭園には、「法悦」の記載が…「庭園は、江戸時代初期に作庭された平庭として見るべきものがある」との事ですけど、GONsanには難解なのかも…さほど、感激もしませんでしたけど…
◆明王院(福山市)
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
明王院(みょうおういん)は、広島県福山市草戸町にある真言宗大覚寺派の仏教寺院である。
・概要
草戸千軒町遺跡(後背に明王院)
芦田川に面した愛宕山の麓にあり草戸稲荷神社が隣接している。かつては常福寺と言われており律宗の寺院だった。中世には草戸千軒町が門前町として栄えていた。本堂と五重塔は国宝に指定されている。また、中国三十三観音霊場第八番札所、山陽花の寺二十四か寺第十八番札所となっている。
・歴史
寺伝によると、明王院の前身である「常福寺」は807年(大同2年)に空海(弘法大師)によって創建されたという。この由来の根拠は江戸時代に作成された棟札によるものであるが、ほぼ同時期に作成された棟札がもう1枚あり、こちらには大同年中に「初住持沙門」と呼ばれる僧侶によって創建されたと記されている。当寺の本尊十一面観音像は平安時代前期にさかのぼる作品であり、寺の草創もその頃にさかのぼるものと推定される。中世には門前に草戸千軒町(川底に埋もれた中世遺跡として著名)が栄えた。江戸時代には福山藩主となった水野家・阿部家の庇護の下で繁栄した。
◇文化財 国宝
・明王院本堂(附:厨子1基、棟札3枚)
入母屋造、本瓦葺き。桁行(間口)、梁間(奥行)とも5間(「間」は長さの単位ではなく柱間の数を表す)。内陣蟇股の墨書から鎌倉時代の元応3年(1321年)の建立と判明する。
和様建築に鎌倉時代以降の新様式である大仏様(だいぶつよう)、禅宗様を加味した折衷様建築の代表例とされている。内部の外陣に見られる輪垂木(わだるき)を用いたアーチ型の天井は、近世の黄檗宗寺院の建築には見られるものだが、中世には他に例がない。
外面の桟唐戸、断面が円形に近い虹梁(こうりょう、堂内の柱間に架けた水平材)などは大仏様の要素であり、粽(ちまき、柱の上部をすぼめること)、台輪(柱上の板状の水平材)、渦巻文様の木鼻(貫などの水平材の端部の装飾彫刻)などは禅宗様である。虹梁を柱頂より一段高く持ち上げるために、斗(ます)や絵様肘木を複雑に組み合わせた架構を見せるが、これも他に類例のないものである。
堂内は手前の梁間2間分を外陣、奥の梁間3間分を内陣とし、両者の間は結界で厳重に仕切る。内陣の両脇に脇陣を設けるが、これは参籠所として用いられていた。外陣が開放的な構えであるのに対し、内陣は窓がない、暗く閉鎖的な空間である。
・明王院五重塔
南北朝時代の貞和4年(1348年)に建立された純和様の五重塔。初層内部の四天柱(仏塔の初層内部に立つ4本の柱をさす)、板壁などには極彩色の仏画や文様が描かれている。初層の来迎壁(仏壇背後の壁)の「兜率天曼荼羅図」は江戸時代に寺外に流出し、現在は東京国立博物館の所蔵となっている。
相輪の刻銘には、この塔が当時の繁栄した草戸千軒の経済力を背景に、ささやかな民衆の浄財を募って建立されたことが明記されている。
◇重要文化財(国指定)
・木造十一面観世音菩薩立像(本尊)
平安時代前期の作で像高148.5cm。頭上面は髻(もとどり)の頂に阿弥陀仏一面、地髪上前面に菩薩面三・左側面に忿怒面三・右側面に牙をむく忿怒面三・背面に大笑面一の計十一面を頂く。作られた当時は彩色されていたようであるが、現在では褪色している。
◇広島県指定重要文化財
・明王院山門
・明王院書院
・明王院庫裡
・木造弥勒菩薩坐像及び両脇侍(不動明王・愛染明王)坐像
◇福山市指定重要文化財
福山市指定重要文化財のうち、木造弥勒菩薩坐像及び両脇侍(不動明王・愛染明王)坐像は、1993年(平成5年)に「木造大日如来坐像及び両脇侍(不動明王・愛染明王)坐像」の名称で指定されていたが、2016年(平成28年)に福山市文化財保護審議会が再調査したところ大日如来坐像ではなく「弥勒菩薩坐像」であることが判明し、福山市教育委員会会議で名称変更が行われた。手に宝塔を置くと推測される穴が開いていた事、五重塔の伏鉢とに「弥勒菩薩と縁を結ぶために建立された」という意味の文が書かれていた事等が決め手となった。
・木造南無仏太子像
・木造五大虚空蔵菩薩懸仏
・木造阿弥陀如来立像
・木造不動明王立像
・木造不動明王立像
・木造制多迦・矜羯羅童子立像
・墓石群
・明王院鐘楼
・七重石層塔
・草戸愛宕神社本殿
・石層塔残欠
・絹本著色釈迦二十二部衆像
・絹本著色不動明王像
・絹本紺地金泥種子両界曼荼羅図
・紙本著色訶梨帝母乾闥婆王像(童子経曼荼羅)
・紙本著色十一面観音像千仏図
・紙本墨画不動明王像
・護摩堂本尊背障壁裏絵
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