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 それでは、本丸の東側の鏡櫓に向かってみます事に。
 本丸にはステージが設けられ、RCCの公開生放送『祝・400年 リニューアル福山城 全部見せます生放送SP!』が、13:54から始まりますけど、中継カメラもスタンバイ。観客の皆様も既にお集まりのようですネ(^.-)☆
 ステージ脇のテントに張られた幕には、家紋が…これは、水野家の家紋のようですねぇ(^-^)
 鏡櫓付近に、こんな説明板が…

 ◆鏡櫓(文書館)

 福山市域の文書、記録類を収集・生理・保存・公開をしています。
 開館時間:午前9時~午後5時
 休館日/月曜日(月曜が休日の場合は翌日)

 ふ~ん、鏡櫓には、誰でも入館可能のようですし、今まで入った事がありませんから、入ってみましょうか…
 展示品の撮影はダメとの事ですから、館内の様子を1枚パチリです(^.-)☆
 鏡櫓の石垣脇には、こんな説明板も…

 ◆鏡櫓と多聞櫓跡
 (阿部家藩主時代の名称:内二番二重御櫓、渡櫓)

 本丸東の中央に位置する鏡櫓は、他からの移築の伝承はなく、築城時の新築と考えられる。
 古写真を見ると、一階東側の屋根には小さな破風を設け、屋根の収まりが極めて特徴的な外観である。
 1873年(明治6年)の廃城令で取り壊され、その跡地は遙拝所となった。
 1973年(昭和48年)に福山市名誉市民・村上銀一の寄付により再建された。
 現在は、「鏡櫓文書館」として利用され、郷土の貴重な資料を多数所蔵している。
 鏡櫓には多聞櫓が連結され天守近くまで続く。現在の東側の登口付近で折れ曲がり石垣が一段高くなっていた。
 折れ曲がり付近に亭櫓(阿部家藩主時代の名称:内三番御物見)があり、本丸御殿の奥向きの建物と廊下でつながり物見の役割をしていた。
 長大な多聞櫓は、福山城の外観を特徴付け、城の防備をより高めている。

 …と、こんな「鏡櫓と多聞櫓跡」でしたようです。
 鏡櫓の右方向に進み、次は、「月見櫓」に向かってみます。ここには、月見櫓のこんな説明板が…

 ◆月見櫓
 (阿部家藩主時代の名称:内一番二重御櫓)

 月見櫓は福山城本丸南東隅に位置する二重櫓であり、その北側には付櫓を備えている。多くの文献に伏見櫓と同じく伏見城から移築されたと書かれ、近世地誌である「備陽六郡誌」には、伏見城から移築された櫓には「戸柱などに松の丸との書付があった」と記されている。
 明治初期に撮影された古写真によると、一階の壁は伏見櫓などとは異なり、柱型や長押を塗り出さない大壁造である。一階屋根には壮大な唐破風が据えられている。二階は天守最上階と同じく壁を設けず、南面と西面には高欄付の縁を巡らせた優美な姿であった。水野家時代の絵図にも「月見櫓」と書かれ、その名のとおり月見を目的とした櫓である。
 1873年(明治6年)の廃城後もしはせく残されていたが、その後取り壊され1888年(明治21年)に「葦陽館」と呼ばれる貸席が建てられた。1945年(昭和20年)8月8日の福山空襲で葦陽館は焼失し、1966年(昭和41年)には天守や御湯殿とともに再建された。

 …との事であります(^-^)//"

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