「鐘櫓」の東側石垣下に、鐘櫓の説明板が…これには、こんな記載がありました。
◆鐘櫓(かねやぐら)
(阿部家藩主時代の名称:鐘搗堂)
・福山市重要文化財
・1979年(昭和54年)10月26日指定
福山城を描く最古の絵図である「正保城絵図」には描かれていないものの、水野家時代後期の絵図では「釣鐘」と書いているのが確認できる。阿部家時代の絵図(元文年間絵図)では、上階の屋根を檜皮葺(ひわだぶき)か柿葺(こけらぶき)で描いている。
城内に独立した鐘楼を設ける例はいくつかあるが、多聞櫓(阿部家藩主時代の名称:渡櫓)の動線上に設けられた櫓としては全国でも珍しい。西側の棟は火灯櫓(阿部家藩主時代の名称:内九番二重御櫓)へ続く多聞櫓の一部である。
江戸時代には太鼓も常備されており、半時(約一時間)の太鼓を打ったと「福山領分語伝記」は書き、「佐原家文書」では「鐘太鼓櫓」とも書いている。
1873年(明治6年)の廃城令では取り壊されず残され、1945年(昭和20年)8月8日の福山空襲にも焼失を免れた。
内部は時鐘番(鐘搗き番)の住居として改変されていた。その後、荒廃が進み1979年(昭和54年)に修理され、銅板葺きに改められて福山市の重要文化財に指定された。
現在、鐘搗きは自動化され午前6時・正午・午後6時・午後10時の時を告げている。
…と、こんな「鐘櫓」であります。
鐘櫓の隣り(北側)には、「御台所門跡」の案内表示板のみで、何らの説明板もありませんでしたネ。
御台所門跡の隣り(北側)には、「人質櫓跡」の案内表示板が…これも同様に、説明板はありません(^-^)
人質櫓跡に立ち、周辺を眺望です。阿部正弘公の像も見下ろせます。天守の最上階では、幸運にも当選されました方々が、GONsan立ちを見下ろしておられます。
まぁ、GONsanも、その内に上がってみたいと思います(^-^)//"
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