「長和・草戸新四国八十八ヶ所第12番焼山寺」を通り過ぎますと、スグに右手に階段上り口脇に『中山城跡入口』の案内標識が…結構新しいので、ここ近年に設置されましたのかも…
この案内標識脇には、「半坂妙見社」の案内板が…これには、こんな記載がありました。
◆草戸・川西歴史街道 散策路 <41> 半坂妙見社
--- 草戸の歴史を愛する会 ---
中山城跡ともいわれ、草戸山城の出城と考えられる。妙見大菩薩社(地図番号<31>)から分祀されたと考えられる。昭和中期に建て替えられた。建物内には北辰妙見大菩薩縁起(写真1の額)と絵馬(写真2)が懸けられている。絵馬は明治35年(1902年)作。
北辰とは北斗星・北極星の信仰に始まるもので、昔から太陽・月・星の運行を神秘的なものとし、仏教では妙見大菩薩と呼ばれ、国土安穏・五穀豊穣・除災招福、開運隆昌の守護神として信仰されてきた。妙見大菩薩は日蓮宗以外でも、真言宗・天台宗などに取り入れられている。
北極星の化身とされた妙見大菩薩は、北極星が常に北を指し旅人の指針として仰ぎ見られたことから、人生の道を導き開いてくれる開運の守護神として深く信仰された。
--- 2013年10月 この事業は、福山市協働のまちづくり資金を利用して実施しています ---
この石段を進めば「中山城跡(半坂妙見社)」に向かうのでしょうけど、後で上ることにしまして、まずは直進です。
すると、スグに、今度は「三十番神社」の案内板が…これには、こんな記載が…
◆草戸・川西歴史街道 散策路 <40> 三十番神社
--- 草戸の歴史を愛する会 ---
半坂鳥越の北側にあり、草戸内洲に祀ってあったものを寛文13年(1673年)に現在の位置に再建された(寛文13年は延宝元年)。
幼児に社前で相撲を取らせたといわれているが、これは相撲好みの文人・応来矣(おっしょきたり・地図番号<28>)本名小林文四郎の墓があることに由来すると考える。
手水鉢(ちょうずばち)の水ためが軍配団扇(うちわ)の形をしている。
常夜灯は文政2年(1819年)に建てられた。
神社は日蓮宗の檀家の墓が神社下側に並んでいる。神社建物の中には、三十番神の御神像があり、多くの絵馬が懸けられている(写真)。
--- 2013年10月 この事業は、福山市協働のまちづくり資金を利用して実施しています ---
この三十番神社も後で向かう事にしまして、引き続き直進です。
そうしますと、右側(山側)の斜面に石仏が…これは、〝GoogleMap〟で確認しますと、「長和・草戸新四国八十八ヶ所第16番観音寺」のようであります。どなたか、紫陽花の花を供えておられますけど造花かも(^-^)
そして、左側の芦田川方向に眼を向けますと、福山沼隈道路の工事現場が…ふ~ん、ここに出て来ましたネ。
本来は、こちらから「三十番神社」「半坂妙見社」へとお詣りされますのでしょうねぇ~
暫く工事現場に眼を向けておりますと、ご年配の男性が上がって来られました。
擦れ違いました後で、後方から見送っておりますと、この道は、この方にとりましては生活道なのかも…との、こんな想いも。
草戸大橋バス停で下車され、GONsanが車を駐めました方向のご自宅にと向かっておられますのかも…
徒歩ですと、このルートの方が随分近道となりますから…
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)