エンゼルスの大谷選手、8/9のアスレチック戦で、ファンの誰もが待ち望んでおりました『2桁勝利・2桁本塁打』…とうとう達成しましたネ\(^o^)/
凄いですねぇ~
達成しました『8月9日』が、これまた良かったですねぇ~「ヤキュー」ですから(^.-)☆
中国新聞sanの号外もそうですし、WEB上にも、こんな速報が…
◆【MLB】大谷翔平、104年ぶり偉業達成 4度目の挑戦で初の10勝「いい投球すればチャンスある」
--- 8/10(水)14:33配信 Full-Count ---
イチロー超え118本塁打「一部の記録でも超えられて光栄」
アスレチックス戦で10勝目を挙げたエンゼルス・大谷翔平
◇エンゼルス 5ー1 アスレチックス(日本時間10日・オークランド)
エンゼルスの大谷翔平投手は9日(日本時間10日)、敵地・アスレチックス戦でメジャー初の10勝目を挙げた。「2番・投手兼DH」で投打同時出場し、6回5奪三振3四球、4安打無失点と好投。打っては7回にダメ押し25号ソロを放った。両リーグでは1918年ベーブ・ルース(当時レッドソックス)以来104年ぶりの2桁勝利&2桁本塁打の偉業を達成した。試合後、大谷は「いいピッチングをしていれば必ずチャンスはあるかなと思っていた。ウォード選手がいい本塁打を打ちましたし、先制点をとって、いい流れでいけたので。こういう試合を多くできたらなと思います」と話した。
激痛アクシデントを乗り越えた。1点リードの3回2死一、三塁、ラウレアーノの強烈なピッチャー返しが左足に直撃した。打球速度101.8マイル(約163.8キロ)。素早く打球処理して投ゴロとしたが、苦悶の表情を浮かべた。左足を引きずってダグアウトへ。その後ファウルゾーンをダッシュして患部を確認。そのまま続投し、6回までゼロを並べた。
3回先頭ではブライドを空振り三振に仕留め、日米通算1,000奪三振(NPBで624K、MLBで376K)をマーク。プロ通算10年目での大台到達となった。5回1死ではアレンから空振り三振を奪ってシーズン157奪三振。キャリアハイをマークした。
打撃でも躍動した。7回先頭、左腕・セルマンから5試合ぶりの25号ソロ。メジャー通算118本塁打とし、イチローを抜いて日本人歴代2位に浮上した。「タイプ的な違いはあると思いますけど、そういう選手に一部の記録でも超えられて光栄ですし、もっともっと打ちたいなと思います」と喜んだ。
昨季は10勝目へ王手をかけてから3試合に登板したものの、勝ち星には届かなかった。今季は4度目の挑戦だった。メジャー初勝利、初安打などを記録したオークランドで節目の勝ち星をつかんだ。ベーブ・ルース以来の偉業について、「光栄なことだなと思いますけど、シーズン中は自分の数字がどういう印象なのか、あまり分からないものかなと思う。終わった後に、どんなシーズンだったかを振り返ればと思います。単純に2つやっている人がいなかっただけかなと思うので。もしかしたら普通の数字かもしれないですし」と淡々と振り返った。
そして、こんな記事も同時にWEB上に…
◆黒人選手がプレーした「ニグロリーグ」にも「2桁勝利・本塁打」達成者…1920年代
--- 8/11(木)2:48配信 読売新聞オンライン ---
エンゼルスの大谷は10勝目を挙げ、ベーブ・ルース以来104年ぶりとなる「2桁勝利、2桁本塁打」を達成したが、人種差別によって大リーグから締め出された黒人選手がプレーした「ニグロリーグ」にも、大谷、ルースと同様に「2桁勝利、2桁本塁打」を達成した名選手がいた。モナークスでプレーしたブレッド・ローガンは1922年に投手で14勝、打者で15本塁打。エド・ライルはスターズに在籍した27年に11勝、11本塁打を記録している。
…と、こんな記事が。
ふ~ん、「ニグロリーグ」とは、どんなリーグでしたのでしょう…
◆ニグロリーグ
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
ニグロリーグ((Negro League baseball) は、アメリカ合衆国に存在した野球リーグ。
・概要
アメリカ合衆国において行われていたアフリカ系アメリカ人を中心とした野球のリーグ戦。アフリカ系アメリカ人によるプロ野球のリーグ戦を漠然と指す言葉だが、狭義ではリーグ運営が比較的順調に行われていた1920年から1948年の間に存在した7つの野球リーグのことを指す。
・歴史
-- アマチュア時代 --
歴史上、アフリカ系アメリカ人による野球チーム同士の最初の試合は、1860年9月28日に、ニュージャージー州ホーボーケンのエリシアン・フィールドで、『ウィークスビル・オブ・ニューヨーク』が11-0で『カラード・ユニオン・クラブ』に勝利した試合とされている。その後南北戦争を挟んで1860年代後半に、主に東海岸を中心にアフリカ系アメリカ人の野球チーム設立の動きが高まり、各都市に野球チームが形成されていった。1860年代後半、フィラデルフィアにあった「ピュティアンズ」(Pythians)の運営をしていたオクタヴィウス・カットーという人物が、当時の全米野球選手協会(NABBP)への加盟を申し込んだものの、協会が参加決議をしなかったという事件もおきている。
-- プロ化の時代 --
1870年代に入ると、プロの契約を結ぶ選手も現れはじめた。アフリカ系アメリカ人最初のプロ野球選手となったバド・ファウラーは、1878年にマイナーのインターナショナルリーグに登場し、マサチューセッツの球団で活躍した。メジャーリーグでは、1884年にトレド・ブルーストッキングスに在籍したモーゼス・フリート・ウォーカー、ウェルデイ・ウォーカーの兄弟が「アフリカ系アメリカ人最初のメジャーリーガー」とされているが、近年の研究では、その5年前の1879年にプロビデンス・グレイズから出場したウィリアム・エドワード・ホワイトがアフリカ系アメリカ人として最初にメジャーリーグに出場した選手ではないかといわれている。
1885年には、ニューヨークのホテル従業員によるチームだったバビロン・ブラック・パンサーズが「キューバン・ジャイアンツ」と改名し、アフリカ系アメリカ人による最初のプロ野球チームとなった。同じ年にフロリダ州では、アフリカ系アメリカ人チーム10球団を集めた「サザンリーグ・オブ・ベースボーリスツ」というリーグが創設されたが、運営上の問題から1年しか存続しなかった。その後1887年には「ナショナル・カラード・ベース・ボール・リーグ」という9球団からなるリーグも組織されたが短命に終わっている。
同じ1880年代後半は、シカゴ・ホワイトストッキングスのキャップ・アンソンが、有色人選手の居るチームとのエキシビション・ゲームを拒否した例など、メジャーリーグやマイナーリーグからの有色人選手排斥の流れが強まり、アフリカ系アメリカ人選手は1900年頃までにはメジャーやマイナーリーグから姿を消してしまった。
…と、こんなリーグでありましたようです。
◆差別してきた「ニグロリーグ」の記録をMLBが公式認定 「私たちは間違っていた」
--- HUFFPOST ---
メジャーリーグでプレーが許されなかった「ニグロリーグ」の黒人選手たち。彼らの記録をMLBと同等にし、大リーガーとして扱うとMLBは発表しました。
-- Satoko Yasuda 安田 聡子 2020年12月17日 13時8分 JST --
…と、WEB上にはこんな記載もありまして、う~ん、メジャーリーグ発展の過程では、色んな問題がありましたようですネ。
と、言う事は、「ブレッド・ローガンは1922年に投手で14勝、打者で15本塁打」や「エド・ライルはスターズに在籍した27年に11勝、11本塁打」も、メジャーリーグの公認記録なのでしょうから、『ベーブルース以来、104年振りの偉業』と言われましても複雑な想いも生じます。
まぁ、難しい事は考えないで、とにかく、『大谷翔平選手、偉業達成、本当におめでとう!!!』です(^-^)//"
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