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 亀山公園に上がって来ますと、ここには、平和の塔・慰霊碑・亀山第一号古墳が(^.-)☆
 案内板には、こんな記載がありました。

 ◆平和の塔

 戦争の悲惨さを体験した我々は、二度と戦争を起こしてはならぬとの願いをこめて、この塔を建立しました。
 ・平和の塔を大切にして下さい。
 ・平和の塔は皆さんとお話しをしたいのです。
 ・平和の塔に近付いてよくて下さい。塔は何も言いませんが、平和の大切な事を教えてくれています。

 --- 亀山公園管理運営委員会 ---

 ◆亀山第一号古墳

 古代山陽道を北に見おろす要衝に作られた亀山第一号古墳は、直径28m、高さ2.3mの円墳(円形に土を盛り上げた古墳)です。埋葬施設は、長さ3.6m、直径50cmほどの丸太を真ん中から割って中をくり抜いた〝割竹形木棺(わりたけがたもっかん)〟で、周りを粘土で固めて雨水などが入らないように丁寧に作られていました。
 棺の中には鉄製の短甲(よろい)・刀・剣・ヤジリ等の武具や武器、カンナ・オノなどの工具、首飾りの玉類や櫛などの装飾品、木棺の上には、ヤリ・盾・矛・筒型銅器などの武器・建具・儀式に使う道具が供えられていました。
 この古墳は、規模や出土品の質、量から判断してこの地域の他の古墳より数段も抜きん出ており、5世紀前半頃に神辺平野を統率していた有力な支配者の墓として築かれたものと思われます。

 --- 亀山公園管理運営委員会 ---

 …と、こんな説明が。
 では、早速、古墳の上に上がってみたいと思います。
 WEB上で検索して見ましたら、こんな記載もありました(^-^)//"

 ◆広島県の文化財 - 亀山弥生式遺跡

 --- https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-206120240.html ---

 ・【解説】

 神辺平野の中央やや北寄りに標高37mの亀山の独立丘陵があり、遺跡はこの丘陵(東西約250m、南北約350m)のほぼ全域に広がる。なお、史跡指定地はこの丘陵の南半部を中心とする地域である。
 過去に昭和32年(1957)の日本考古学協会による発掘調査、昭和56~60年(1981~1985)の広島県教育委員会・県立埋蔵文化財センターによる発掘調査が行われ、次のような成果が明らかになった。

 ・弥生時代前期の環濠(かんごう)

 丘陵上には弥生時代前期(紀元前3世紀~紀元前2世紀)の三重に巡る環濠が確認された。それら三重の環濠は一度に掘られたのではなく、内側の空間の範囲を拡大するように順次掘削されたものであるが、弥生時代中期には全て埋没していたことが判明している。農耕文化とともに大陸あるいは北部九州から伝播した農耕集落構築の一形態を示す、この地域の農耕社会の本格的成立期の代表的な遺跡と考えられる。

 ・広島県東部の弥生時代前期~中期前半の土器の指標

 遺跡内の遺物包含層の下層からヘラ描きの沈線文や突帯をめぐらす弥生時代前期後半の土器が出土、その上層では櫛描き文様の弥生時代中期(紀元前2世紀~紀元後1世紀)前半の土器が出土した。弥生時代前期の土器については形態的特徴からさらに文様や整形技法の変化を追うことができ、広島県東部の弥生時代前期から中期前半にかけての土器の型式変化の指標となっている。

 ・その他

 環濠の内側からは、弥生時代後期(紀元後1世紀~2世紀)の竪穴住居跡や前期~後期の貯蔵穴などの遺構がみつかっている。出土遺物は、土器のほか多量の石鏃(せきぞく)、刃器、磨製石庖丁、鑿(のみ)形石斧、環状石斧、磨製石斧などの石器が出土している。
 丘陵頂上部では古墳2基が確認されている。北頂部の第1号古墳(径28m)からは割竹形木棺をもつ粘土槨が検出され、三角板革綴短甲(さんかくいたかわとじたんこう)、鉄剣、鉄刀、鉄槍等が出土した。時期は古墳時代中期と考えられる。また、南頂部の第2号古墳(径22m)からは箱式石棺が検出され、鉄器片が出土した。時期は古墳時代中期と推定される。
 そのほか、斜面地を中心に古墳時代~中世(3世紀後半~16世紀)の遺物も出土している。

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