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 線路下を抜け南側に出て来ますと、スグに踏切で、この脇から「
小森館跡」の説明です。
 ここには、こんな説明板が設置されておりました。

 ◆小森館跡

 津之郷町小森にあり、この館跡を含めた一帯が山陽新幹線の車輌基地として使用されることとなり、昭和45年(1970年)発掘調査が行われた。小森館は幅9mの壕を周囲に持つ東西約80m、南北約82mの方形館であることが分かった。
 館内の高さは周囲の水田から高さ約1.5mぬきん出ていて、侵略者を寄せ付けない沼田に取り囲まれた沼田城形式の城郭である。
 館主の横山氏が津之郷に移った経緯については、『西備名区』や当家の由緒書きにも記述があるものの、古文書によって立証されるのは、天文17年(1548年)からである。

 --- 津之郷学区まちづくり推進委員会 ---

 ◆横山家文書(福山市指定重要文化財)

 中世末期、津之郷町小森にあって当地方の有力武士の一人であった横山備中守関係の書状で17通を一巻に仕立てている。
 戦国末期から桃山時代にかけて、神辺城主杉原氏や毛利家との関係を示すもので、当時の備南地方の形勢を推測するうえできわめて貴重な資料である。

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津之郷学区まちづくり推進委員会 ---

 ◆
小森館跡

 津之郷町大字津之郷小森にあった横山氏の居館。沼地の中の館であったようで、水田からはわずかに高い地形だったようです。
 昭和45年(1970)、山陽新幹線車輌基地建設のため発掘調査後消滅。発掘調査では、幅7mから9mの堀が確認され、石垣、遺物も相当量でたようですが、多くは近世の物であったようです。
 横山氏は、神石郡の楢原山城から津之郷に移ったと伝えられています。戦国時代、毛利氏配下で「伯洲の神辺殿」と称された杉原盛重の重臣として、横山備中守などが史料で確認できます。
 杉原氏の神辺退去後も毛利氏に従い、関ヶ原合戦の後は小森にとどまり帰農しました。

 
--- 当日、備陽史探訪の会より貰った資料より ---

 
小森館跡の説明が終わりますと「ぶら探訪〝足利義昭と津郷公儀御座所〟」は、オシマイです。後は、スタート地点の「津之郷公民館」へと戻ります。
 途中、住居と住居の間に狭い路地がありまして、この路地を進めば「神社」
があるとの事でした。今回は、狭い場所だから訪問しないとの事であります(^-^)//"


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