01-720
02-720
03-720
04-720
05-720
06-720
07-720
08-720
09-720
10-720
11-720

 中国新聞sanのこんな朝刊記事に誘われて、2/28(火)には、何度か出掛けてはおりますけど、熊野町の「
一乗山城跡と常國寺」を散策となりましたGONsanです(^.-)☆
 熊野水源地に到着しますと、まずは熊野貯水池堰堤脇にあります「
一乗山城跡と常國寺」をパチリです。

 
◆一乗山城跡と常國寺

 一乗山城は、渡辺越中守兼によって、文明~永正年間(1469~1521)に築かれた山城で、郭・石垣・掘切・井戸などの保存状態が良く、昭和39年3月31日に市史跡に指定されています。
 
城主の渡辺氏は、室町時代の初めに草戸村に入り、四代目兼の時代に山田荘(熊野町)に移りました。毛利氏と尼子氏の争いの時には、初め尼子氏に就きますが、兼の晩年に毛利氏に属します。以来、五代(兼・房・高・元・景)にわたって一乗山城を拠点としますが、関ヶ原の戦いで敗れ、この地を去ります。
 
その間、室町幕府最後の将軍足利義昭が毛利氏を頼って鞆へ来住した時は、渡辺氏が警護と接待役をつとめ、その縁で渡辺氏の菩提寺である常國寺には義昭ゆかりの品が伝えられています。境内には江戸時代の建造物など多くの文化財が残されています。

 市  史  跡 -- 一乗山城
 市重要文化財 -- 常國寺建物(唐門・鐘楼・番神社本殿)・常國寺文書・足利義昭胴肩衣
 市天然記念物 -- 常國寺のケヤキ・常國寺のモッコク

 --- 2013年(平成25年)3月 福山市教育委員会 ---

 ※ 足利義昭胴肩衣(あしかがよしあきどうかたぎぬ) 附肩衣之由来書

 --- 市指定重要文化財 昭和39年(1964年)3月31日指定 ---

 天正4年(1576年)織田信長と不和になった将軍足利義昭は、毛利氏を頼って鞆に来往し幕府の再興を志した。この時熊野一乗山城主渡辺四郎左衛門景は将軍の警固と接待役を務めた。
 この胴肩衣は単衣の麻で、後身頃と前身頃にそれぞれ桐の紋を入れ、義昭の着用したものと伝えられている。渡辺氏がこれを拝領し、彼の菩提寺常国寺へ寄進したと考えられる。同寺蔵の足利義昭御内書・真木島玄蕃守書状(いずれも市重文)と共に義昭備後在住を物語る歴史的な遺品である。

 風もありません暖かい天候ですから、池の水面も実に穏やか。イィ景観です(^_^)v
 丁度、真正面に一乗山城跡が眼に入ります。
 我が家の菩提寺も日蓮宗ですから、何度かお詣りしておりますけど、まずは、常國寺をお詣りも兼ねて散策ですネ(^-^)//"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)