もぅ数年前の事となりますけど、笠岡市関戸辺りを車で走行中に、「関戸廃寺跡」の案内板を見掛けた事がありまして、いつの日か機会があれば、出掛けてみようか…との想いがありました。
で、1/18(火)は、運動も兼ねまして、急に思い出したように出掛ける事となりました(^.-)☆
いつものように、Googleマップ上でマップコードを確認し、これをナビに入力し、これまたいつものように走行ルートはナビ任せ(^.-)☆
関戸廃寺跡には、我が家を出まして50分程度で到着です。
廃寺跡ですから、『塔の心礎』以外に特に何にもありませんけど、こんな説明板がありました。
◆岡山県指定史跡 関戸廃寺跡
7世紀後半、笠岡市内で初めて建立された本格的な寺院が関戸廃寺である。建立にあたっては、柱の基礎に大きな礎石をすえ、屋根を瓦で葺くなど、当時の新技術が導入された。現在では発掘調査の結果、おおまかな伽藍配置が明らかになっている。
この説明板の裏側に大きな石が露出しているが、それが塔の心礎である。心礎は塔の中心に有り、直径約95mの心柱を支えていた。
塔の北側には金堂(本尊をまつる中心的な建物)があった。東の一段高い所にも大きな礎石建物(講堂か)があり、寺院の西側には境界の築地塀があった。築地塀の外側には、当時の南北往来が通っていた。
寺院の敷地は、南北、東西とも、最大で約130m。航空写真を見ると、現在でも水田のあぜ道が一直線にそろっているが、これは当時の区画の名残である。
出土遺物から、この寺院は白鳳時代の7世紀後半に建立され、おおよそ400年の間存続したが、平安時代の11世紀に主要な建物が焼失し、やがて、廃絶したことがうかがえる。
--- 昭和38年8月1日指定 笠岡市教育委員会 ---
WEB上で検索しましたら、こんな記載もありました。
◆関戸廃寺跡
---出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
戸廃寺跡(せきどはいじあと)は、岡山県笠岡市関戸にある古代寺院跡。塔跡は岡山県指定史跡に指定されている(指定名称は「関戸の廃寺跡」)。
・歴史
-- 古代 --
創建は不詳。発掘調査によれば、白鳳期の7世紀後半頃の創建と推定される。笠岡市内では最古の本格的寺院であり、造営氏族としては笠臣(笠氏)や小田臣(小田氏)とする説が挙げられている。一帯の小田郡甲努郷は、古墳時代の5世紀末頃に長福寺裏山古墳群の営造が停止したのち、6世紀以降は小池古墳など笠岡市内で最も古墳が集中して築造される地域であり、甲努郷・出部郷で盛んな鉄生産を掌握して畿内勢力と結びついたことで関戸廃寺の建立に至ったと推測される。
奈良時代の8世紀後半頃には伽藍が改修されており、備中国分寺との瓦の同笵関係から、同寺ひいては備中国府との密接な関係がうかがわれる。その後、平安時代の12世紀頃には廃絶したと推測される。
-- 近代以降 --
近代以降の変遷は次の通り。
1958年 (昭和33年)、笠岡市指定史跡に指定。
1962年 (昭和37年)12月、塔跡の発掘調査(鎌木義昌・間壁忠彦・間壁葭子ら、1965年に概報刊行)。
1963年(昭和38年)8月1日、塔基壇周辺が「関戸の廃寺跡」の名称で岡山県指定史跡に指定。
1994-1995年度(平成6-8年度)、伽藍配置確認調査(笠岡市教育委員会、1997年に報告書刊行)。
寺域は南東側が欠けた五角形で、東西約130メートル・南北約130メートルを測る。西側は築地塀による区画が確認され、築地の外側には南北道が検出されている。主要伽藍として、塔・金堂が南から配され、東に講堂が配される。遺構の詳細は次の通り。
・金堂 -- 本尊を祀る建物。寺域西寄りに位置する。基壇は東西17.3メートル・南北16.55メートルを測る。基壇化粧として基壇端に平瓦が立て並べられる。
・塔 -- 釈迦の遺骨(舎利)を納めた塔。寺域西寄り、金堂の南側に位置し、金堂に次いで建立されている。基壇は一辺約12メートルを測る。基壇化粧は石積基壇。塔心礎の周囲に焼痕が認められることから、火災で焼失したと推測される。
・講堂 -- 経典の講義・教説などを行う建物。寺域東寄り、塔の東側で東西6間以上・南北4間の大型建物が検出されたことから、講堂跡と推定される。建物は数回の建て替えが認められる。礎石の石材は流紋岩。
金堂・塔の周囲には回廊が巡らされたと推測されるが、発掘調査では明確な遺構としては検出されていない。また門についても未だ検出には至っていない。
寺域からの出土品としては、多量の瓦がある。奈良時代の軒丸瓦・軒平瓦は、備中国分寺(総社市)と同笵になる。出土品の様相によれば、創建期は白鳳期の7世紀後半頃で、奈良時代の8世紀後半頃に改修され、平安時代の12世紀頃に廃絶したと推定される。
◆県指定 史跡 関戸の廃寺跡(せきどのはいじあと)
--- https://www.city.kasaoka.okayama.jp/soshiki/39/2457.html ---
所在地:笠岡市関戸字唐臼/所有者:笠岡市
指定年月日:昭和38年8月1日
関戸には、笠岡で最初に建てられた大きな寺院の跡がある。
この寺は飛鳥時代(7世紀後半)にはじまり、平安時代(11世紀)に焼失したらしい。今では大部分が水田となっているが、発掘調査の結果、金堂や塔の跡などが確認され、おおよその伽藍配置が明らかになった。また、土器や鉄釘のほか、おびただしい量の瓦が出土している。
現在廃寺跡を訪れると、露出している巨大な礎石が目に付くが、これは塔の中央にある柱の礎石である。寺院であった頃の敷地の区画が、今でも水田の畦の形に反映されているところが興味深い。
主な出土品は、笠岡市立郷土館に展示されている。
◆関戸の廃寺跡(せきどのはいじあと)
飛鳥時代に創建された寺院の跡です。今では大部分が水田となっていますが、発掘調査の結果、金堂や塔の跡などが確認され、おおよその伽藍配置が明らかになりました。また、出土した瓦から7世紀後半に金堂、次に塔が建立されたと考えられます。建物の瓦溜まりに混じって出土した土器から、平安時代の11世紀に主要な建物が失われたことがうかがえます。
現在廃寺跡を訪れると、露出している巨大な礎石が目に付くが、これは塔の中央にある柱の礎石です。また、寺院であった頃の敷地の区画が、今でも水田の畦の形に反映されているのは興味深いものです。
主な出土品は、笠岡市立郷土館に展示されています。
…と、こんな「岡山県指定史跡 関戸廃寺跡」であります(^-^)//"
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