第74回全日本高校バレーボール選手権の決勝戦が、昨日(1/9)に行われ、女子は岡山県の就実高校が2大会連続の4度目の頂点に立ちましたようであります(^_^)v
で、この就実高校の監督「西畑美希」sanが、我が町のご出身で、今も我が町に暮らしておられますとは知りませんでしたねぇ~今朝、中国新聞sanの朝刊に眼を通しておりまして、初めて知りましたGONsanなのであります(^-^;
嫁さんに、その旨、話しますと、なんと、知らないのはGONsanくらいとの事でありました(^-^;
嫁さん達が、色んな場で顔を合わせますと、西畑監督の下での就実高校の2大会連続の優勝を祈っていましたとの事ですから、二度ビックリ。
ふ~ん、そぅだったんですねぇ~
WEB上で、西畑美希sanを検索してみますと、こんな記載がありました。
◆西畑 美希
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
西畑 美希(にしはた みき、女性、1977年4月27日 - )は日本の元バレーボール選手で、現バレーボール指導者である。
・来歴
広島県福山市出身。1989年に日本で開催されたワールドカップの影響を受けて、中学3年時に福山市立向丘中学校から岡山県のバレーボール強豪校である就実中学校に転学して本格的にバレーボールを始める。1992年夏の全中に出場、同年暮れのさわやか杯では全国中学強化選手に選出された。
1993年に就実高校に進学。同期に向井久子(元全日本、石川島播磨呉→ユニチカ)がいる。同年夏のインターハイではいきなり準優勝を果たす。3年次となった1995年にはインターハイで優勝し、自らも優秀選手賞及びベスト6に耀く。勢いにのった就実チームは、秋の国体も制して高校二冠に耀いた。
1996年にVリーグのユニチカ・フェニックスへ入団したが、活躍の場が得られず、1999年にV1リーグの東北パイオニアに移籍した。東北パイオニアでは中堅選手として活躍し、チームのVリーグ昇格に貢献した。次第に出場機会を失い、2005年に現役を引退した。
指導者の道は考えていなかったというが、母校である就実高等学校から声がかかり、2011年からコーチとなり、2015年4月からバレーボール部監督に就任した。同年冬の天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会ではファイナルラウンド進出を果たし、2016年夏のインターハイでは、自身が出場した1995年以来21年ぶりとなるベスト4進出に導いた。2016年の国体でも就実高校中心の岡山県選抜チームが4位となり、2大会連続でベスト4となった。更に上位を狙うべく、西畑は「20-20からの接戦をものにする」特訓を選手に課した。
2017年1月の第69回全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)では、特訓の成果が実り、優勝候補の一角である八王子実践(前回準優勝校)、金蘭会(2016年国体優勝)を撃破してチームは決勝まで進出し、下北沢成徳高等学校に敗れたものの準優勝へと導いた。
2021年1月の第73回全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)では、ノーシードながら、2回戦で文京学院大女、準々決勝で金蘭会(前々回優勝校)、そして準決勝では古川学園(前回準優勝校)と次々と優勝候補を倒し決勝に進出。決勝では、大阪国際滝井(大阪)を3−1で下し、25大会ぶりの優勝に導いた。
・所属チーム -- 福山市立向丘中学校、就実中学校、就実高等学校、ユニチカ・フェニックス(1996-1999年)、東北パイオニア/パイオニアレッドウィングス(1999-2005年)
…と、こんなご経歴の西畑美希sanでありました。
いゃぁ、GONsanが知りませんだけで、我が町にもスバラシイ方が、結構おられますネ(^.-)☆
しかし、それにしましても、ここ近年は、町内の色んな事柄に、GONsanよりも嫁さんの方が物知りですから、何故か腹立つなぁ…
仕入れた情報をGONsanに話してくれればイィのに、何にも話してくれず、GONsanが何か知ったげに話しますと、「ふ~ん、今まで知らなかったの(^-^)」ですから、う~ん、やっぱり、腹立ちますねぇ(^-^)//"
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