JR福山駅北口の「月見櫓」下の石垣までヤッて来ますと、ここでは中国新聞sanがピースウォークの様子を取材です。何枚か画像に納めておられましたネ。
GONsanは、この様子を後方からパチリです(^.-)☆
この辺りの石垣は、空襲の傷痕が随所に残っておりまして、こぅして石垣に眼を向けておりますと、赤茶けた石の一つ一つが結構キレイで、美しくさえ感じられてしまいます。
こぅいぅ眼で見ますのは不謹慎なのかも分かりませんけど…
◆福山城 月見櫓
もと京都伏見城内にあったものを移築したもので、本来は着見櫓のことであるとも言われている。
追手側(南側)も入江方面も展望できる南東隅に築かれ、藩主などの到着を見極める役割をなしていた。1階南側に石落としがあり(実際の石落とし機能は不明)、古い建築様式をもっている。
明治初年頃取り壊されたが、昭和41年秋、天守閣とともに外観復元、現在は貸会場として利用されている。
◆月見櫓
月見櫓も伏見櫓と同様に伏見城の櫓を移築したといわれる櫓で、2層2階建てで北側に附櫓を有していました。
本丸の南東隅に築かれ、藩主などの到着を見極める役割をなしていたことから、本来は「着見櫓」のことであると考えられます。
廃城に伴い、明治初年頃に取り壊され、跡地には1888年(明治21年)に福山公園(本丸)の活性化策として地元有志により「葦陽館」と呼ばれる貸会場が建てられましたが、福山大空襲で焼失しました。
現在建てられている月見櫓は、1966年(昭和41年)の秋に、天守とともに鉄筋コンクリートで再建されたものです。ただし、古写真とは南側正面にある石落しの有無や窓の配置など大きく異なっているため、あくまでも復興櫓の扱いです。
また、月見櫓も御湯殿同様、貸会場として利用されています。
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)