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 高野山福山別院を拝見し退散しようとしますと、入口に「福山空襲遺跡案内板」が設置されていますのに気付きまして、眼を向けますと、こんな記載が…

 ◆空襲の傷跡が残る高野山福山別院

 --- 福山空襲遺跡案内板 ---

 高野山は、平安時代の819年(弘仁10年)頃より、弘法大師「空海」が修行の場として開いた真言宗の本山で、比叡山(滋賀県)と並ぶ日本仏教における聖地である。
 高野山福山別院は、遍照山龍華院という。1884年(明治17年)8月5日の創建である。
 1945年(昭和20年)8月8日の福山空襲によって本堂は全焼し、現在でも本堂基壇石む・鐘楼台座・手水鉢・本堂に通じる石畳などに空襲の傷痕が残っている。

 --- 2018年(平成30年)3月 福山市 ---

 …と、こんな記載がありました。
 高野山福山別院とお別れし、福山城の石垣方向に向かっておりますと、対面からエキゾチックと言うかレトロな車が走行です。
 時たま福山市内で見掛けますけど、この車はタクシー?…社有車?…スクールバス?…今度、機会がありましたら横から車体を狙ってみたいと思います(^-^)
 次に、福山城の石垣を見学です。ピースラボsanから貰った資料には、こんな説明が…

 ◆福山城石垣

 福山城は、徳川幕府の西国鎮衛の拠点として、1622年(元和8年)に初代藩主水野勝成によって創建され、間もなく400年を迎えます。
 福山駅北側道路沿いの石垣をよく見ると、高い所まで赤く変色し、石の角が丸くなっていることが分かります。福山空襲の際に起きた火災によって、石垣が高温の激しい炎に長時間さらされたため、石が赤く変色し鋭角だった石が丸く変化してしまいました。

 今まで何度も福山城の石垣は眼にしておりますけど、こぅしてジックリ眼にします事はありませんでしたネ。
 うん、うん、確かに、随所に空襲の傷痕が確認出来ます。それに、石垣の石は当初から角は丸かったものと思いましたら、激しい炎に長時間さらされたため石が赤く変色し、鋭角だった石が丸く変化しましたとは、知りませんでしたねぇ~
 石垣の石の赤茶けた部分は、焼夷弾によるものと聴かされてはおりましたけど(^-^)//"

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